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以西底引き網漁船の行方不明事故(同型船に乗船)1.13

36年前20歳のとき、私はまったく同型の以西底引き網漁船に、2ヶ月間乗船していました。
SEB201001120006.jpg
(行方不明になった第2山田丸)

1月12日午前4時半ごろ、長崎県五島市・福江島の北西約85キロの海上で、長崎市の山田水産所属の以西底引き網漁船「第2山田丸」(113トン・10人乗り組み)が行方不明になりました。
現場付近で無人の救命いかだが発見され、7管は転覆するなど遭難した可能性が高いとみて周辺海域を捜索しています。
第2山田丸は長さ33・6メートル、幅6・8メートル。日本人4人と中国人6人が乗船していたとのことです。
真冬の海での遭難は残念ながら、絶望的とも言えます。しかも、この寒波です。
私はテレビで遭難した漁船の写真を見て、びっくりしました。
20歳で宇部高専を卒業した後、「ヨットによる単独太平洋横断」という夢を実現するための資金稼ぎと航海術を学ぶために、福岡に本社のある㈱トクスイの以西底引き網漁船「第11徳広丸」に乗船しました。
今回遭難した「第2山田丸」と同型の漁船でした。
色も形も同じ船です。
113トンの船に当時は12名乗船していました。
黄色の船首操舵室(ブリッジ)下には乗組員の居室があります。
居室といっても、蚕棚のような狭い空間で、寝台列車のベッドと同じくらいの空間しかありません。
底引き網漁船のため、エンジンの馬力は非常に大きく、また悪天候に備え喫水は深く、余程の事がない限り、転覆する構造ではありません。
当時の状況はわかりませんが可能性があるとすれば、船首が波で持ち上げられたときに、思いもかけないような高波が船尾から襲ってきた場合、もしくは船を回頭するとき大きな高波が襲った場合です。
私が乗船した頃は、冬場の漁の獲物は高値の大正海老でした。
1ヶ月くらいの漁で、船員は70~100万も給料をもらっていました。
当時の大卒の初任給は6~7万円ですから、凄い稼ぎです。
だからこそ、相当無理な操業をしていました。
私は2ヶ月で業船から降り、次に北海道を中心に重油やガソリンを運搬する国内航路の油タンカーに乗船しました。
500トンから1000トンくらいの船でしたが、冬の北海道も厳しい航海の連続でした。
船首の手すりは雪と寒風で海水が、直径15センチくらいに凍りつき、また新潟港では一晩で80センチの降雪も経験しました。
約3年間の船員生活で350万円のお金を貯め、ヨットを作り、昭和52年5月、手作りヨットによる単独太平洋横断に出航しました。

今は「第2山田丸」のご無事を祈るばかりです。

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2010年01月13日 18:39に投稿されたエントリーのページです。

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