27日午前10時より、山口県議会一般質問の冒頭で話す予定の文章です。
インターネットで生中継されています。
「私自身が経験した犬吠埼東方海上での転覆事故」

6月23日午後1時30分、千葉県犬吠埼の東350キロの太平洋で、巻き網漁船「第58寿和丸」135トンが転覆し、4名が亡くなり、13名が行方不明となる海難事故が発生しました。
この海域は南東からの黒潮と、北からの親潮がぶつかりあい、三角波ができ易く、世界の難所の一つとなっています。
昭和43年、全長200メートルの巨大鉱石運搬船「ぼりばあ丸」が、真っ二つに折れて、沈んだ場所でもあります。
私は31年前、昭和52年、手作りヨットによる単独太平洋横断中、一度、ヨットが転覆しました。
第58寿和丸が転覆した2日前の6月21日、ほとんど同じ海域でした。
当時、朝から海は時化ていましたが、それほど、大きな波はありませんでした。
午後から雨が降り出し、私はデッキに出て雨で身体を洗い、船内に戻った直後、突然、右舷側から、ゴーッという大きな波の音がし、ドッガンという強いショックがあった次の瞬間には、天井に四つん這いになっていました。
ヨットが転覆したのです。
私は次の波で、すぐに起き上がると思っていましたが、5分待っても起き上がる気配がありません。
海水がヘソの辺りまで入ってきたとき、ついに諦めました。
ハッチを開けて船外に脱出し、救命ボートを膨らませて、乗り込んだ直後に、ブツンというショックを受けました。
何か分からずに、SOS発信機の用意をしながら振り返ると、何とヨットは船尾を少し持ち上げた形で、起き上がっていました。まるで神様を見たような気になりました。
ところが、ブツンといった音は、ヨットと救命ボートをつないでいるロープが切れた音でした。
ボートはどんどん流されていきましたが、なぜか、15メートルくらいで、ピタッと止まりました。
細い1本のロープがヨットとボートに絡まっていました。
ゆっくり切れないように手繰って、ヨットに戻ったとき、「生かされた」と思いました。
バケツで3時間かけて水をかい出しました。
時計は午後3時9分を指して止まっていました。
船内は足の踏み場もないような状態でしたが、まだ航海を続ける気力だけはありました。
しかし翌朝、船体の点検をしてみると、一晩でバケツ3杯の海水が、漏り、船底に溜まっていました。
結局、諦めて、日本に帰る決断をしたとき、目の前に神様が現れました。
一隻の漁船がゆっくりと近づいてきたのです。
茨城県のカツオ漁船「第11祥天丸」です。私は食料やラジオと共に「がんばれ」とのエールを頂き、航海を続けることができました。
ヨットが転覆した夜、母は、私がヨットの中で寂しそうにうずくまっている姿を夢で見たそうです。
悪い予感がしたのだと思います。
その翌朝、母の手許に、私のヨットがひっくり返ったという電報が届きました。
その電報を受け取ったときの母の気持ちを考えると、とても耐えられなかったと思います。
以来母は、友達から「お百度参りをしたら」とか「願掛けをしたら」と言われると、言われるままに、何でもしたそうです。
そうしなければ、私が死んでしまうと思ったそうです。
そんな苦労が祟ったのだと思います。
私が無事に帰った姿をみて安心したのか、帰国して1ヶ月後、母はついに倒れ、3ヶ月間、日赤病院に入院しました。私のせいだと思っています。
お陰さまで母は83歳になりましたが、今も元気です。
多くの方々の願いと祈りのおかげで、私は太平洋を、無事横断することができました。
今、行方不明で、安否が気遣われている方々の、身内の皆さまも、きっと母と同じ気持ちだと思います。
無事を祈らずにはおれません。
(亡くなられた方々には、心よりお悔やみを申し上げます。)
コメント (2)
ご無沙汰しています
大変貴重な体験を知り驚いております。
あの海域は魔のトライアングル海域に似たいるようですね。
これからも体に気を付けられ、議会、仕事にお励みください。
期待しています、選挙区が変更になったのが残念です。
投稿者: 野村修二 | 2008年06月27日 21:56
日時: 2008年06月27日 21:56
『心に残る』
そんな気持ちになるお話でした。
今回の転覆事故に巻き込まれた多くの方々のこと
考えると『良かった』とか『感動した』とかという
言葉は不適切に思えるので使いませんが・・・
あなたが、数多くの人々から『視える・視えない』問わず
支えられているのだな、と感じました。
お仕事、頑張ってください。
投稿者: pake | 2008年07月16日 02:47
日時: 2008年07月16日 02:47