父は大正6年生まれの92歳ですが、天気がいい日はバイクで魚釣りです。
75歳まで、現役の大工の棟梁でした。
母は大正14年生まれの84歳。結婚63年です。

父が釣ってきたハゼ。全部で42匹。我が家では食べきれず、いつも近所に配っています。
9月議会「一般質問」の前段で話した関白宣言の話。ぜひ、読んでみて下さい。
「敬老会」でお年寄りの皆さんとお話をしているうちに、十数年の、我が家の出来事を思い出しました。当時、82歳だった父が、突然私に「もし、俺が死んだから、毎月、墓参りに来てくれるか」と聞いたので、私は「毎月は無理。年4回。盆と正月、それからお彼岸だな」と答えました。
我が家のお墓は、当時、防府にあったので、とても毎月行ける距離ではないと思いました。すると今度は「もし先に、ばあちゃんが死んだら、俺は毎日墓参りに行きたいが、どう思うか」と問いかけられ、「毎日」と聞いて、返事に困ってしまいました。
そのとき既に父は、私に内緒で近くの墓地を購入し、しかも、私名義でお墓の注文までしていました。返す言葉が見つからず、仕方なく、お墓を移動することに同意しました。
ところがいよいよ、お墓を移動するときになって、今度は「お寺を替わる」と言い出し、私と喧嘩になってしまいました。
父とは、かつて太平洋横断をして以来、ほとんど喧嘩をしたことが無かったのですが、そのときは私が怒りました。
「先祖代々、我が家のお墓を守って頂いているお寺があるのに、替わる必要はない。親父が死んでも、1時間もあれば、住職さんは防府から宇部まで来てくれる」と私が言うと、父は「これから、お前が防府に住むことは、ありえない」と答え、勝手にお寺を探し始めてしました。
気まずいまま、年が明けた1月15日、テレビ番組で「さだまさし」さんがコンサートをしているのを、父と二人で、居間で見ていると、父が「関白宣言」を聞きながら泣いていました。
「お前を嫁にもらう前に」という歌詞で始まる有名な歌ですが、この歌を聞いて泣く人は珍しいと思います。
3番にこんな歌詞があります。
「子どもが育って、年をとったら、俺より先に死んではいけない。例えばわずか1日でもいい。俺より早く逝ってはいけない」
この部分を聞いて、父は泣いていました。
父はいつも、口癖のように母に「俺より先に死ぬな」と言っています。
母は近所の友だちと会話をしていると「私はじいちゃんを残して、先に死なれん」とよく言っています。
父は「死ぬな」、母は「死なれん」、
いい夫婦だなあと心から思います。
その1年後、父の要望を受け入れ、宇部市内のお寺に替わらせて頂きました。
父は大正6年生まれで今年92歳、母は大正14年生まれで84歳。父は75歳まで大工の棟梁だったこともあってか、とても元気で、今もバイクに乗っています。母は物忘れがひどくなり、身体の動きも鈍くなり、最近は、父が朝夕の食事の世話をするようになりました。
いつまでも、元気でいてほしいと思わせて頂いた敬老の日でした。