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日々の出来事 アーカイブ

2007年09月30日

91歳でバイクに乗る父

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私の父は大正6年生まれで91歳。
75歳まで現役の大工の棟梁をしていました。
「生涯現役こそ、最高の高齢化対策だ」と思いますが、91歳でバイクに乗っている人は稀だと思います。
「危ないから止めたら」と言いたいところですが、バイクを止めると、一気に老けてしまいそうで言い出せませんし、言えば叱られそうです。
7月には、「バイクを置く場所が狭い」と言って、父母の部屋のそばに、バイク小屋を増築しました。
しかも、先日は「三輪車のほうが、楽かもしれない」と言ってバイクを買い換えようとしましたが、バイク屋さんから、却って危ないと言われあきらめたようです。
いつまで乗る気かわかりませんが、自宅からスーパーまでの往復、通いなれた道だけに安全を祈って見守るしかありません。「ご安全に」

2007年10月03日

星香の誕生日

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今日は娘、星香の19歳の誕生日。
バースデイケーキは91歳のおじいちゃん(私の父)が、バイクでゆめタウンまで行って買ってきました。
ここ10年くらい、家族の誕生日のケーキは、いつもおじいちゃんが買ってくれます。
うれしいですね。
娘は今、受験生で、予備校通いの毎日ですが、仮に大学に合格すれば、私たち夫婦と父母の四人暮らし、寂しくなります。
これからは、家内に嫌われないようにしないといけません。
子育てはあっという間に終わります。
今を大切にしたいですね。

2007年10月04日

兄が植えたコスモス

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工務店(大工さん)を営んでいる兄が植えたコスモスの花が、今年も綺麗に咲きました。
厚東区棚井にある兄の作業小屋のそばにある水路の両側です。
約100mに渡って、綺麗に咲いています。
誰かのためにと思って植えたわけではないと思いますが、通りがかりの人が、車を止めて眺めていました。
心が癒される景色です。

2007年10月07日

中屋昭夫ハワイアンコンサートと私の講演

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家内がウクレレを習っている中屋昭夫先生(元・バッキー白片とアロハハワイアンズのメンバー)のハワイアンコンサートが柳井市の「アクティブやない」で開催されました。
先生からコンサートの前に「40分くらいお話をしてほしい」との依頼を軽く引き受けましたが、家内と会場に到着して、配られたプログラムを見てびっくり、まるで私の講演会のような内容になっていました。
演題は、太平洋横断の旅「さわやかに生きる」。
聞いて良かったと言って頂けるようにと、思いをこめてお話をさせて頂きました。
ハワイアンの演奏、歌、そしてフラダンス、どれもみな素晴らしい内容で、会場一杯のお客様も楽しそうでした。
先生は現在73歳ですが、とてもパワフルで元気一杯、これからやりたいことがいっぱいあるとのことです。
どうみても60歳くらいにしか見えませんでした。
若さ、青春とは、心のあり方ですね。
最近、70歳から80歳の素晴らしい方々に、お会いする機会が多く、生き方を問われているような気がします。
当日は、柳井選出の山口県議会・前副議長の長谷川忠男先生が奥様とご来場下さいました。
ありがとうございます。

2007年10月10日

高速道路で見かけた小便器

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的つき小便器
高速道路のトイレで見かけた一品です。用を足していると、つい的を目がけてしまう心理を良くとらえていますね。
トイレの張り紙も「汚さないで下さい」が「きれいに使いましょうね」に変わり、本当にきれいになったというお話しを伺ったことがあります。言葉は大切ですね。
ところで、昔、トイレメーカーで女性用立小便器を見たことがあります。
日本でも実際に使われているところがあるそうです。(本当ですかね)

2007年10月15日

芳村思風先生の講演テープ

12年前、「おかむら塾」の開校10周年のお祝いとして、大阪の中川やす代さんから芳村思風先生の書かれた『人間の格』(致知出版社)という厚い、1万円もする高価な本を頂いた。
副題は「感性論哲学の人格論、境涯論)。
頂いた後、すぐ一読しましたが「これはいずれ必要になるときが来るはずだ」と、本棚の左端に大切に置いて、12年間が過ぎてしまいました。
本の中で気になっていた部分は
「人間は歴史をつくる動物である。人類は自らの歴史をつくり出すことを通して人間性を獲得してきた。われわれは時代の変化についていくのではなく、自ら変化をつくり出さなければならないのである。
変化のない社会に人間が退屈を感じ、大きな出来事が起こると急に活気づくのは、人間が本来的に変化を求める動物なのである」

というところです。
私の人生にトラバーユ(変化)が多いのは、やはり私の持っている人間性かもしれません。
8月、北九州市の石丸龍さんから頂いた手紙で、石丸さんが主宰する「養心の会」で芳村思風先生の講演会が9月24日、北九州市であると知って、直接お話が伺えるのを楽しみにしていました。
ところが当日、急用が入り、参加できなくなってしまい、がっかりしていたら、突然今日、石丸さんから「芳村思風先生の講演のカセットテープ」が送られてきました。
講演の演題は「真実の愛とは」。
これから、ゆっくりテープを聞かせて頂き、『人間としての生き方、あり方、生き様』を学ばせて頂こうと思います。
本当に有難いことです。
これからは、生き方を問われる時代だと思います。

2007年10月16日

4羽の鶴(パン工房「シエロ」)

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全労災フェスタのとき、買った
パン工房「シエロ」の袋の中に、4羽の鶴が入っていました。
綺麗な折り紙を丁寧に折ってあり、、創られた方の優しさ、願いが伝わってきます。
ちょとした気配りでしょうが、本当にありがたい、感謝の気持ちで一杯になりました。
それにしても、どのようにして折ったのでしょうか。
構造的に興味がありますね。

2007年10月19日

議員野球の練習

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県議会議員野球部の練習に参加しました。
打撃練習の写真ですが、格好だけは一流選手です。
何ごとも形が大切です。うまそうに見えます。
打撃練習は、今日で2回目と言うこともあり、初めはいい当たりを連発しましたが、すぐに化けの皮が剥がれ、後半は空振りの連発。
運動神経の悪さは、隠せませんね。
私のグラブはソフトボール用の新品。
守備練習では、グラブが硬いため、一度入ったボールがすぐ弾き出してしまう。
ワンバウンドのボールは、グラブで取るより、素手で取った方が楽な気もしました。
練習前は、全員から期待されているのですが、練習が終わると、正選手の候補に名前が挙がりません。
来週、中国地区大会が岡山県で開催されますが、自信持って、間違いなく補欠です。
私が出るようでは人材不足、勝ち目はありません。
スポーツは楽しく、勝てばなお結構。

2007年10月22日

川田典子さん(ミス日本・中国四国地区代表)

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ジュニア洋上スクールやチャレンジクルーズに参加した川田典子さんが『ミス日本』中国四国地区代表に選ばれました。
彼女は現在、大阪の医科大学の4年生ですが、中学高校時代、「森と海の学校」が主催する大型客船による中国への「ジュニア洋上スクール」や、大型ヨットによる「チャレンジ・クルーズ」(宇部-ハウステンボス)に参加した団員であり、スタッフです。
中学時代は友達関係や学校のことで、いろいろ悩みがあったようですが、一浪して希望していた医科大学に進学した努力家です。
昨夜、テレビで「山口市の川田典子」という名前をニュースで聞いて、「あれ!」とは思ったのですが、彼女の住所は岩国市、同姓同名の人だと思いました。
「でも、彼女は美人だから、もしかして、、」という思いもありました。
早朝、新聞の写真を見てびっくり。
すぐ、娘を起こしていました。
ちょっと見ない間に、本当に綺麗になりましたね。
惚れ惚れです。
スタッフのこととなると、保護者のような思いになってしまいます。

上は「ミス日本」にエントリーした写真
下の2枚は平成13年「チャレンジクルーズin長崎」のときの写真です。

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この航海は日本テレビ「ズームイン朝」の特番で取材スタッフも乗船し、15分も全国放映されました。
台風通過の嵐の中を帆走し、たいへんな航海でしたが、楽しかった思いでばかりです。
(DVDがあります)
下は右端が彼女です。


2007年10月25日

「子宝草」を知っていますか。

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「子宝草」今、株分けをして、新婚さんや、これからまだまだ赤ちゃんをたくさん産んで頂けそうな方に差し上げています。

昨年、知合いの方から頂いた観葉植物です。
小さな鉢で育てていたのですが、葉の周辺にたくさん芽が出て、しかもそれぞれに根が生えてきます。
さらに成長して大きくなると、ポロリと落ちて、落ちたところですぐに大きく育ちます。
小さな鉢はたちまち、新芽でいっぱいになり、大きな鉢に植え替えました。
子宝草とは、うまい名前をつけましたね。
先日、小さな鉢をたくさん買ってきて、株分けをしました。
ご希望の方に差し上げます。
育ててみませんか。
とにかく、成長が早いんです。
新芽が出て、すぐにポロポロ落ちんです。
安産のお守りみたいですね。

最近、
「岡村さん、お子さんは何人ですか」と聞かれると、「今のところ、2人です」と答えています。少子化対策の宣伝用に如何ですか。

2007年10月28日

県議会議員野球大会(岡山市)10.27

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中国地区5県の県議会議員野球大会が岡山県の「マスカット球場」で開催されました。
プロ野球も開催される立派な球場で、ユニフォームを着て、球場内の通路を歩いていると、他県の議員さんから「学生時代は4番ですか、エースですか」と声を掛けられ、「エースでした」と答えしまいました。
ただし、バレーボールですが、、、。
身長178cm、体重74㎏の体型を見ると、誰よりも野球が上手そうに見えるようです。
しかし実は見掛け倒しで、バレーボールより小さいボールを扱う競技は何をやってもダメなんですね。
特に、学生時代、バレーボールで肩を痛めて以来、肩が痛くて遠投ができません。
試合中、3累コーチャーズボックスに立っていると、広島県議会の議員から「スタメンではないの」と聞かれ、「エースは決勝戦用に残してあるんです」と笑顔で答えました。
試合は13対6で、1回戦負け負けでした。
最近、子どもの体力がなくなったと言われていますが、議員の体力はもっとなくなっていました。
試合終了後、松永副議長と一足早く山口に戻り、夕方は山口大学で三浦教授と学会論文についての相談。
夜は、「故郷の名産品を育てる会」の実行委員会。11月2日開催の「故郷を味わい、故郷の文化に親しむ会」の今日が締切り日です。
現時点で約300名の参加。まだ回収できていない分がありますから350名以上にはなりそうです。
昨年の第一回では料理が足りなくて、ご迷惑を掛けましたので、今回は万全の体制で臨みます。

2007年11月01日

光輝病院で講演 11.1

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吉井利行県議さんのご依頼で、上関町にある光輝病院まで講演に行ってきました。
GPSで海岸を走って、左折。「この上に病院があるのだろうか」というような細いくねくねした道路を登ると、ようやく大きな建物が見えてきました。
看護婦さんを相手にお話しするのは久々でしたが、皆さんが楽しそうに聞いてくださったので、ついつい時間オーバーしてしまいました。
優しさと笑顔が大切な仕事だけに、さわやかな印象を感じさせる下さる方々ばかりでした。
保育園や幼稚園の先生方にお話する機会が結構多いのですが、同じように話していて疲れないのは反応の良さでしょうね。
帰りに、吉井先生の事務所によって帰りました。
事務員さんの笑顔が素敵でした。

2007年11月15日

ボンジョレ・ヌーボー解禁 11.15

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ボンジョレ・ヌーボーの解禁に合わせて「ワインを楽しむ会」が開催されました。
国際ホテルで開催された会には、小遊三師匠(茶色のセーターの方です)も特別参加され、大いに盛り上がりました。
私は3年ぶりの参加です。
民主党の衆議院候補「三浦のぼる」さんも参加しており、国政の話題が尽きませんでした。
解散総選挙はそう遠くはなさそうです。
最後はいつもジャンケンで、ワインの樽を持ち帰ります。私は惜しいところで毎回敗退。
以前、物欲しそうにしていると「岡村にあげましょう」と言って下さった方がおられ、我が家には、すでに1つ飾ってあります。
貯金箱にすれば、コインだけで100万円くらい入りそうです。
我が家の樽には、持ち帰って、すぐに入れた300円だけが入っているはずです?
「貧しい我が家にご寄付を」と書いて玄関に置いておこうかと思います。

2007年11月16日

モラロジー講習会 11.16

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モラロジー講習会に参加しました。(宇部市文化会館2階)
50名位の参加者の皆さまと道徳、人生観について学びました。
2講座ずつ、2日間の日程です。
明日は所用で参加できませんが、学びは大切ですね。
人間の生き方は、「出会いを通して学ぶ」ものだと思います。

財団法人モラロジー研究所は、倫理道徳の研究と心の生涯学習を推進する文部科学省所管の社会教育団体として、大正15(1926)年に法学博士・廣池千九郎によって創立されました。
以来、一貫して人間性・道徳性を高める「研究活動」「生涯学習活動」「出版活動」 を展開しています。現在は、地球的・国際的視点からさらに道徳の研究を深めるとともに、「人づくりによる国づくり」をめざす生涯学習と講座・セミナーによる未来社会の建設に貢献する活動を行っています。

2007年11月17日

母とみかん、キエフからのお客さま 11.17

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我が家のみかんが今年も「すずなり」です。
栄養をたっぷり含んだ愛犬の「コロ」のウンチのおかげかもしれません。

友人に誘われて、朝から「うべかま祭り」に83歳になった母と出かけました。
「くるみ園」特製の豆腐、いそべ揚げ、れんこんてんぷらなどを購入、特に「れんこんてんぷら」は、谷川相談役の考案だそうですが、れんこんのシャキシャキ感が私のお気に入りです。
最近、自宅にこもりがちで心配していただけに、動きをみて少し安心し、帰りに障害者福祉施設の「高嶺園」の見学会にも行ってきました。
きれいに、しかも使い勝手のよくなったトイレをみて、施設の進化に驚きました。
入園者の皆さんが顔を会わせる度に「こんにちは」と挨拶してくれて、その笑顔がとても素晴らしかったです。

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夜はチェリノブイリ原発事故のあったロシアのキエフ市から来日された「ヴァレンテナ先生(医者)」歓迎会に里美と参加しました。
「えんどうまめの会」を主宰されている石川悦子さんに誘われて加しました。
参加者が手作りし、持ち寄った料理でのもてなしに先生も感激された様子。
これから30日に帰国されるまで、関西から九州まで、講演活動をされるとのことです。
石川さんは20年間、原発事故で被曝したキエフの子どもたちの支援を行ってきた市民活動家で、妻の親友です。
今回の来日も、すべて彼女が段取りされたようです。
情熱と志が人を動かしている、そう感じさせて下さる人です。
学ばなければいけませんね。
写真左は、通訳としてキエフから同行された竹内さんです。

2007年11月18日

海志のアメフト試合(平和台) 11.18

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長男の海志は、広島大学4年生(理学部物理学科)に在学中。
学生時代のほとんどをアメリカンフットボール一筋で過ごしてきました。

高校時代はラグビー部、身長は170センチですが、身体はまるでプロレスラーのような体型です。
彼のチームは中国四国地区で優勝し、18日、平和台競技場で九州地区代表と試合が行われました。
娘と妻が見に行きましたが、残念ながら負けてしまったようです。
さて、彼の夢は飛行機乗り。
ANAやJALのパイロット養成コースを受験したのですが、残念ながら最終選考でいずれも不合格になってしまいました。
健康チェックが相当厳しいようですね。
私もパイロットになりたくて、高専時代にJALを受験しようとしたのですが、視力が規定の裸眼で1,0に達しなくて、あきらめざるを得ませんでした。
さて、これからどうするのか。
彼の選択が楽しみです。
私のできることは、心から彼のすることを応援し、祈るのみです。

2007年11月19日

朝からヘプリンブルー11.19

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今日は久々に、朝からパソコンに向かっています。ブログもまとめて更新しています。
11月3日からです。
ブルグは毎日更新しなければ意味がないと言われ、頑張っていましたがたいへんですね。
「継続は力なり」というけれど、苦手な分野ですね。
振り返ってご覧頂ければ幸いです。
さて、写真は大工さんをしている兄の作業場で撮影した朝顔です。
アメリカ産の遅咲きの花ですが、きれいなブルーで、ついつい見とれてしまいました。
名前は兄の記憶ですが「朝からヘプリンブルー」だそうです。

2007年11月22日

23回目の結婚記念日 11.24

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昭和59年11月24日に結婚式を挙げて、「23年間良く耐えましたね。妻が・・・。」と私の周りの人たちは口をそろえて言っています。
建築事務所、塾経営、人材育成講師、市議、県議とトラバーユも多かったでから。
25周年まで2年、見捨てられないように努力しなければいけません。
まもなく、娘も家を出ますから、嫁さんの機嫌を損ねるとたいへんです。
愛するのは妻だけに徹します。ハイ。
2人の子どもたちも無事、成長し、海志は来年、大学卒業?。星香は大学進学です。

海志は、パイロット志望でしたが、残念ながら航空大学校は不合格。身体検査で引っかかったようです。海志には申しわけありませんが、おかげ様で宇部に残ってくれる可能性が出てきました。
高校生の頃には「お前にはお前の人生がある」と言ってきましたが、大学生になったとたん「お前だけが頼りだから」と冗談で言っていました。
東京でなければできない仕事が見つかれば、それはしかたがないことですが、、、、。
「念ずれば花ひらく」は私から見た言葉ですね。
これから就職するのか、大学院に進学するのか本人しだいです。
私は教員など、子どもたちを相手にする仕事が向いていると思うのですが、、。
星香は22日、おかげ様で九州大学の21世紀プログラム学科にAO入試で合格しました。
香川高等学校に行かせて正解、本当に良かったです。
ロータリークラブの交換留学生に選ばれ、1年間のフランス留学から帰ってきて、勉強できたのは約2ヶ月、先生方が親身に小論文の書き方、ディペートの仕方などを指導して下さったおかげです。
卒業生に対しての指導ですから、公立高校では考えられませんね。
親として本当に有難いことだと感謝しています。

2007年11月26日

トイレの表示② 11.26

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男子トイレの「ここに命中させろシール」の第二弾。新幹線ノトイレです。
10月10月「トイレの日」(?)に偶然書かせて頂いたトイレの表示ですが、あちらこちらにいろいろな表示があることがわかってきました。
これは新幹線の表示です。
何気なく使っているトイレですが、これからは、オシッコをするたびに、観察してみようと思います。
(トイレ表示観察クラブ)

単行本「子どもとの愛を深める」(親からのお手紙) 11.26

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単行本「子どもとの愛を深める」(親からのお手紙)
仮の題ですが、「親子の絆」についての本を書くつもりで、全体のストーリーを検討しました。
昨夜はほとんど徹夜です。 

「絆」というテーマは、あまりにもありきたりかもしれません。
しかし、人間関係に起因する不登校や自殺者、社会人のうつ病、親子家族間での事件などが急増していることは、「人間は人と人の関わりなくしては生けていけない」という証を示しているのではないでしょうか。
今、社会が、現代人がもっとも欲している心の安らぎは、人と人との絆、親子・家族の絆の回復。

幸せとは、普段の生活の中で、なんとなくうれしいとか、楽しいと感じるとき、心から湧き上がってくる有難いと思う感謝の気持ちを感じるときだと思います。
そして、人間の究極の幸せは、子どもや孫の幸せを見届けることだと思います。

私は平成4年以来、親子・家族の絆を深めるための一つの活動として、ご両親や家族からのお手紙を活用した青少年教育に取り組んできました。
きっかけは、私が23歳のときに挑戦した手作りヨットによる太平洋単独横断の体験がきっかけとなりました。
当時、太平洋横断に反対していた父とは、出航までの8年間ほとんど口をきいたことがありませんでした。出航間際、岸壁で「行ってきます」と握手したときも、父は一言も話しませんでした。
ところが、宇部港の沖で、母が作ってくれた弁当箱を開いた瞬間、大泣きをしました。
「生きて帰れ父」と一言書いた紙切れが入っていました。
一日中、大きな声で泣きました。
たった一言ですが、人間としての生き方、親のあり方のすべてを教えられたような気がしました。

私のキャンプやジュニア洋上スクールの研修テーマは「親が子に生き方を教える」です。その方法として3日目に、ご両親からのお手紙が届けられます。
子どもたちは生活にも慣れ、父母のことを思い出すときでもあります。
手紙の内容については、事前研修でご両親にお願いし、子どもが生まれたときの様子、ご両親や家族、親戚一同が喜んだこと、名前の由来などを書いて頂き、すべて「○○様」宛で、速達で投函して頂いています。
夜9時、子どもたちを集め、暗い中で、私は自分の太平洋横断のときの父母から頂いた手紙の話しをします。
「君たちのお父様、お母様も、きっと心配しているのではないかな。ひょっとすると、台所で向かい合わせに座り、今日はお風呂に入らせてもらったかな、風邪をひいていないかな、などとお話しをしているかもしれません。
今日は、思いもかけず、お父様、お母様からお手紙が来ています。
今から、名前を呼ぶから、呼ばれた人は、前に出てきなさい。」
出掛けに喧嘩をしてきた子どもは、来ていないかもしれないと不安がっていますから、名前を呼ばれた瞬間から、大泣きです。
全員に行き渡ったら、懐中電灯で封筒を照らします。様と書かれています。しかも速達です。
「お父様やお母様がどのような思いで、この手紙を書かれたかわかるか?今から10分間、何度でも読み直しなさい。」
散らばって、懐中電灯の明かりで、手紙を読み始めると、BGMのシルクロードの曲が流れてきます。
思いもしなかった父母からの手紙は子どもたちの心に大きな感動を引き起こし。子どもたちは涙を流しながら、何度も何度も手紙を読み返します。
子どもたちはお手紙を通して、「自分にとって、親とは何なのか」「どのような生き方をしなければならないのか」ということを涙の中で学びます。
親が子に生き方を教えるための最高の舞台が作り出されます。

翌朝、書いた感想文には多くの子どもたちが「この手紙は一生の宝物です。」「これからはお父様お母様を大切にします」と書きます。

私は、父母から頂いた「頑張れ!母」「生きて帰れ!父」という手紙のことを10年近く忘れていました。
しかし、必ず思い出すときがきます。
人生の折り目、節目のとき、お手紙は心を揺さぶります。
手紙を10分間書けば、10分間、相手のことを思っています。
思いを送るという意味では「思いやり」という言葉がもっとも似合うのがお手紙です。

私は、今まで約15年間で、3000名近い小中学生や高校生、また、青年の船等で1300名の青年に、お手紙を使った事業を行いました。
我が家には、彼らが書いた感想文のコピーが保管してあります。たまに、読んでみると涙が出るような文章がたくさんあり、心が洗われるような思いになります。
親が離婚し、子どもに対して申し訳なさを綴った母親からの手紙を読んで、子どもと一緒に泣いたこともありました。
ジュニア洋上スクールから帰って、すぐにお父様が急死し、頂いた手紙が遺書になったこともあります。
ジュニア洋上スクールに孫を行かせることを楽しみにしながら、出発直前に亡くなったおじいちゃんの写真を、食事のたびにテーブルに置いている小学生もいました。

最近の子どもは変わったと言いますが、決してそんなことはありません。しっかり人生を考える機会を与えられていないに過ぎません。

本は、お手紙を読んでいる写真、体験活動の写真を織り交ぜながら、お手紙だけではなく、絆をテーマにした「子育てに役に立つ、ほのぼのとしたエッセー」を一緒に入れて、制作できればと考えています。

2007年12月25日

「めまい」と「地震」 12.25

「地震」と「めまい」

25日の夜11時頃、ホテルの部屋で本の原稿を書いていると、突然、パソコンの画面が揺れて見えました。
周りの景色、部屋全体が揺れて見え、自分の身体の異変に気づきました。
これが「めまい」なのか。
ひょっとすると、メニエル病か、何か重い病に掛かったのかもしれないと、急に不安になってきました。
ゆっくり、立ち上がっても、周りは揺れているような気がします。
そのとき、衣文掛けに掛けられたワイシャツの袖が微かに揺れているを見て、初めて地震だということに気づきました。
テレビをつけると、やはり地震速報が出ていて、ホッとしました。
病気ではありません。地震の揺れでした。
ホテルの部屋は細長いビルの11階、しかも最上階です。
免震構造のために、ビルはゆっくり揺れていたのです。
大地にいて感じる揺れとはまったく違う揺れの体験でした。
健康が一番です。

2007年12月26日

「ぼくがもらった宝物」(仮題)5月出版決定12.26

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12月25.26日東京で、編集担当者の方と、本の内容について詳細な打合せを行いました。
3つの章で構成、1章は太平洋横断中のときに、父母から頂いた「がんばれ!母」「生きて帰れ!父」の手紙の話。
「ご両親からのお手紙」という研修をキャンプで始めた経緯。
2章は、子どもたちの「ご両親からの手紙」と感想文。
3章は、私の子育てエッセー。
ページ数は228頁、価格はできれば1500円程度ということで決まりました。
これから感想文の整理や、手紙の使用確認、写真の整理など、たいへんです。
エッセーは、ウベニチ新聞の「冬至夏至」に、6年間投稿させて頂いた原稿が役に立ちそうです。
当時、編集長だった飯田進さんに感謝です。
昨夜、初めて「ご両親からのお手紙」の研修を行った平成3年の夏のキャンプのとき、子どもたちが書いた「お手紙の感想文」を、すべて読み直して涙がでました。
すべてを本に使いたいくらいです。
そして、今年のキャンプの感想文も読み直しました。
16年間の隔たりはありますが、親の子どもへの思いと願い、そして、子どもたちの感受性は変わっていません。
どれも感動的でした。
変わったのは、社会的な教育環境と規範意識です。
何とか改善しなければならない義務を、大人として議員として感じます。

本を読んで頂いたお母さんやお父さんに、「子どもっていいなあ」「子育てほどの感動はないなあ」「もっと子育てを楽しまなければ」「子どもとの時間を大切にしなければ」と感じて頂きたい。
そして独身の女性や男性には「結婚したいなあ」「子どもがほしい」と思って頂きたい。
何より、自分自身を生み育ててくださったご両親、そして、見守ってくださっているご先祖様に感謝したいと思って頂ける本にしたいですね。


2007年12月27日

トイレの表示③ (宇部市文化会館)

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男子トイレの「ここに命中させろシール」の第3弾。宇部市文化会館の1階男子トイレです。
10月10月「トイレの日」(?)に偶然書かせて頂いたトイレの表示ですが、あちらこちらに、いろいろな表示のシールが貼られていることがわかってきました。
今回は「ハエ」です。
男は目印があると、それに目がけてオシッコをする修正があります。
小便器の付近に「便器の周りを汚さないように」などと注意書きが貼られていますが、このハエ一匹が、すべてを語ってくれます。
「おれに目掛けてオシッコを飛ばせ!」と言っているようですね。
興味のある方は、トイレ表示①②もご覧下さい。
(トイレ表示観察クラブ)

2008年01月01日

新年明けまして おめでとうございます。1.1

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琴崎八幡宮にある修養団の黒板に「今月の言葉」を書きました。
10年近く、妻が毎月1日に書いています。

今回は、琴崎八幡宮に家族4人で、大晦日の午後7時頃行きました。
妻が「今月は何を書こうか」と言うと、子どもたち2人が「1月だから、『少年よ大志を抱け』がいい」と答えました。
ジュニア洋上スクールで、いつも素読として、子どもたちに言わせている言葉の1つですが、2人とも完全に暗記しているとは思いませんでした。
というわけで、1月の言葉は、「少年よ。大志を抱け!」に決まりました。

少年よ大志を抱け!
しかし、金を求める大志であってはならない。
利己心を強める大志であってはならない。
名声というつかの間のものを求める大志であってはならない。
人間としてあるべき、すべてを求める大志をいだきたまえ。
                    ウィリアム・クラーク

琴崎八幡宮の本殿前にあります。ぜひ、ご一読下さい。

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。
昨年はみなさまの温かいご支援により、2回目の当選をさせて頂きました。
心からお礼申し上げます。
初心を忘れず、決意を新たにしております。
まず、本格的な地方分権時代に対応できる自立と責任ある地方自治を確立するため、生活者の起点に立った政策を提案したいと思っています。
自ら行動、実現する議員を目指して、一生懸命取り組んでまいります。
21世紀に入り、日本社会は大きく変容し、「ものの豊かさ」から「心の豊かさ」が望まれるようになりました。
少子高齢化の進行や人口減少社会の到来など、かつて日本社会が経験したことがない、先を見通すことの難しい状況となってきました。
だからこそ、家族、友人、地域との「絆」を大切に、健やかに、心豊かに暮らせ、子どもたちの未来に明るい希望の持てる地域社会を築くことが大切だと思います。
さて、私は長年、「絆」をテーマに、子ども自然体験キャンプや匠の学校などを企画運営してきました。今年は新たに「宇部ロハス計画」を、市民のみなさまのご協力を頂きながら始動させたいと企画しています。
ロハスとは、健康と環境に配慮した生活スタイルのことです。
市民運動として、環境美化、地球温暖化対策などと取り組み、宇部市を世界有数の環境都市にする計画です。
宇部市は戦後、市民一人ひとりが参加し、美しい街づくりと取り組んできた素晴らしい歴史があります。
今も毎日ようにごく当たり前に、道路などを清掃しているたくさんの市民がおられます。
年末には市街地清掃活動が修養団や宇部興産など多くの団体・企業が参加して行われています。
そんなロハスな活動を全市的な運動にしたいと思っています。
「街がきれいになれば、心がきれいになる。
心がきれいになれば、犯罪がなくなり、安心・安全・安らぎにあふれた街になる」
郷土愛が深まれば、「絆」も深まります。
地道な活動ですが、大切なことだと思います。
これからも市民の方々の意見を聞きながら議員活動と取り組んでいきたいと思っております。
よろしくご指導を、お願い申し上げます。
新しい年が、みなさまにとって素晴らしい年でありますよう願っております。
ありがとうございました。

2008年01月04日

恵美須神社の新年です。1.1-3

明けましておめでとうございます。
恵美須神社の新年です。
今年は元旦、雪のちらつく中、150名の皆さまに参拝を頂きました。
有難いことです。

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早朝、ご参拝下さった森田さんと泊野さんから、雅楽(横笛)のご奉納を頂きました。
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ご参拝下さったNPO法人「YMO21」の役員の皆さんです。
(恵美須神社そばの「森と海の学校」合宿所です。囲炉裏もあり、大人の隠れ家です。20名程度の合宿もできます。ぜひ、ご家族でご利用下さい。正面に宇部興産大橋が見え、眺めは最高です。)


2008年01月11日

我が家の「鈴なりレモン」 1.11

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私の書斎の出窓そばに植えてある『レモンの木』が、今年は鈴なりの実を付けています。
昨年、隣に植えてある柿には、まったく実が付かなかったのですが、不思議ですね。
風邪の強い日は、レモンの実が窓を叩き、「そろそろ食べごろですよ」と知らせているようです。
さて、

今年のモットーは、「夢は大きく、根は深く」としました。
大きな夢を持ち、実現するためには、根をしっかりと、張らさなければいけません。

今年は、議員としての地力をつける年にしたいですね。
少し時間的なゆとりのある生活をし、本を読み、思慮し、根の深い人間にならなければいけません。
それをしなければ、軽い薄っぺらな人生を送ってしまいそうで、少し恐さを感じています。
初心に帰り、自らを磨きます。

2008年02月03日

「心花」ちゃん誕生、おめでとう 2.3

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西村家に次女「心花(みはな)」ちゃんが生まれました。

「おかむら塾」の卒塾生同士で結婚した西村家に、次女が誕生しました。
二人とも小学生のときから、私の塾生でした。
私たち夫婦が仲人です。
まるで孫ができたようで、うれしいですね。
名前は心の花と書いて、「みはな」と読むそうです。
奥さんの倫子がつけました。とにかく、かわいい。
長女の「ののか」ちゃんは、私と同じ8月6日が誕生日です。
赤ちゃんがいる生活はいいですね。
私の孫もそう遠くはない話です。
私の子どもたちには「学生結婚もよし」と言ってあります。

2008年02月06日

「赤福(あかふく)」復活、うれしいです。 2.6

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ようやく、赤福が商売を再開しました。浜田さん、おめでとう。

社長の浜田さんとは、一緒に青年会議所の青年の船「とうかい号」に乗船した間柄です。
彼は団長、私は講師でした。
よく存じ上げているだけに、心配していました。
謝罪会見で、眼鏡を片手で支えながら、報道関係者に謝罪している姿に、老舗の跡継ぎの大変さをつくづく感じました。
あれから4ヶ月、ついに復活です。
私はちょうど、伊勢市にいたので、買って帰ろうと思ったのですが、長蛇の列。
販売数に限りがあるそうで、結局、買えませんでした。
残念。

ところで謝罪会見で、会社や役所の幹部が頭を下げるシーンをテレビで見かけます。
いつも、誰に頭を下げているのだろうかと思います。
報道陣もきつい質問するのは当然ですが、もう少し、言葉を選んで質問するべきですね。
報道陣に頭を下げているような気がしてなりません。

2008年02月24日

堀 研 さんの個展を見てきました。2.23

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堀 研 さんの個展を見てきました。

広島県の廿日市美術ギャラリーで開催されている個展に、息子を連れて行ってきました。
どれも素晴らしい大作ばかりで、感動の一言でした。
息子の髪型はアフロヘヤー。
インディアンを描いた絵がありましたが、息子は気に入った様子で、長い時間眺めていました。
1本の「桜の木」の四季を描いた作品は4枚の大作ですが広い会場でみると、以前「ギャラリー小川」で見せて頂いた時とは、また違う素晴らしさを感じました。
たまにはゆっくり、時間をかけて芸術を楽しむゆとりが必要ですね。

2008年03月01日

異業種相互啓発勉強会・【3%の会】 3.1

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「日本成功学会」主催の異業種相互啓発勉強会・【3%の会】 に長男(大学4年生)と参加しました。
会場は福岡の「筥﨑宮(はこざき)神社」。
お払いも受けてきました。
主催者の黒木安馬さんとは、2度、東海地区青年会議所主催の「とうかい号」に講師として乗船させて頂いた友人です。
日本航空のパーサーでありながら、奥さんと一緒にテニスコートとプールのある借金(鉄筋)コンクリートの大豪邸を建てた有名人。
「日本成功学会」は私も設立発起人の一人です。
今回の参加者は25名。
1日は高校の卒業式。
私は「香川学園の理事」という立場であり、出席しないわけにはいかず、黒木さんに参加できない旨のの電話をしようと、彼のホームページを見て、びっくり。
私が参加すると、写真入りで掲載してあり、これは無理をしても行かなければ申し訳ないと、急いで福岡に移動したのですが、結局、1時間遅れで到着してしまいました。
しかし、
現在発売中の「週刊ダイアモンド」3/1号(P136~137)に掲載中の女性経営者KSG社長の高橋泉さんも神戸から出席されおり、参加した甲斐がありました。
46歳の女性で、冠婚葬祭業で年商100億円だそうです。
初めてお会いしましたが、素晴らしい女性でした。
目的意識を持って、しっかりと活動されている方は、目の輝きが違います。
ゆっくりお話を伺える機会がほしいと思いました。
会では、3分間スピーチの予定でしたが、私は初めから30分間、話す予定になっていました。
そのほか、 大学の先生、医師など多士済々が参加され、楽しく、勉強させて頂きました。
「縁は人生の宝」ですね。
22歳の息子は結構、影響を受けた様子でした。


2008年03月09日

日本建築学会で論文発表 3.9 

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日本建築学会・中国支部の研究発表会が広島国際大学で開催され、論文発表を行いました。

朝、5時30分に自宅を出発し、村上先生を迎えにいき、呉市の広島国際大学に向かいました。
発表論文は「組立式早期設置型戸建てシェルターの開発と評価」です。
時間は発表7分、質疑3分。
短い時間ですが、学会での論文発表はいつも緊張します。
帰りに呉市にある「大和ミュージアム」を見学しました。
日本の持っていた、当時の技術力に感動しました。
戦後の高度経済成長は、「戦艦大和」、「零戦」を作った日本の技術力が合ってこそ、成し遂げられたことを実感しました。
最近、日本人の学力低下が問題となっていますが、資源を持たない国が、学力、技術力を失ったときの末路を考えると、不安ですね。

2月に提出した建築学会の論文が採用されれば、博士課程修了の道筋ができるのですが、、、。
結果が楽しみです。

2008年04月16日

「わたしの年賀状歳時記」平山智昭先生4.16

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わたしの後援会顧問で、元小学校校長の平山智昭先生が本を出版されました。
先生が毎年、書かれている年賀状と、そのお返事をまとめられたものです。
時代背景をベースに先生の願いと祈り、そしてその時折の思いを書かれた年賀状は、毎年頂くたびに、自分自身の生き方を考えさせられる内容です。
平成17年2月議会では、教科書問題をとりあげたとき、先生の年賀状の内容を使わせて頂きました。
そのことが、日本時事評論に掲載されました。
教科書の大切さを教えてくださったのも、平山先生です。

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2008年04月25日

新刊【成幸学・人生の正面教師たち】 4.25

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私のことを16ページにわたって書いて下さいました。

友人の黒木安馬(くろきやすま)さんが講談社から新刊本を出版されました。
本日、発売です。(¥1300+税)
有難いことに、206ページのうち、16ページも、私のことを書いて下さいました。
これからエベレストに挑戦する栗木さんなど、多くの方々の生き方が書かれていますが、一番多くのページ数を使って、私のことを書いてくださったようです

黒木さんとの出会い、太平洋横断のこと、ジュニア洋上スクールでの「親子の絆」を深めるために行っている「ご両親からのお手紙」などが書かれています。
父とのことなど、照れくさい部分もありますが、いい内容です。
ぜひ、ご購読下さい。

黒木さんは元日本航空のパーサー。
飛行機の中で北島三郎さんのコンサートを開いたり、テニスコートとプールのある豪邸を何年も掛けて、自分で建てたり、とにかく一緒にいて楽しい、有名人です。
私との出会いは、東海地区青年会議所主催の青年の船「とうかい号」。
ともに講師として、9日間、同じ部屋で過ごしました。
講演も楽しく元気の出る内容でした。

以下は黒木さんからのメールです。
いよいよ新刊【成幸学・人生の正面教師たち】(講談社¥1300+税) 4月25日に全国一斉発売です。
あんな人にはなりたくないな、という表現は「反面教師」ですが、良い意味の“あのような人になりたい!”と言う表現は見つかりませんでした。
ところが、HARVARD大学で現BUSH米大統領を教え子に持つ霍見(つるみ)芳浩教授と会ったときに、
それは「正面教師」と言うのだよ!と教えてもらいました。
それが今回のTITLEです。
まずは大手の紀伊国屋書店などから発売開始だそうです。

Amazonの書評から⇒内容紹介
常識破りの「面白い」人生を築くノウハウ、金に執着することなく毎日を楽しむ。
それでいて人の役に立つ成功を収めた人々に共通するものは何か?
逆境を乗り越え、生きる希望がわいてくる人生の指南書 ・・・・
ご購入は下にアクセスしてください。
詳細は黒木さんのホームページで紹介しております。
⇒ http://www.3percent-club.co

私の本は6月下旬に発売です。(少し、遅れました)
題名は「手紙でつむぐ 親子のきずな」(ぼくらがもらった宝物)です。
こちらもよろしくお願いいたします。

2008年04月30日

ヨットのマストに登りました。 4.30

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3年ぶりに、ヨット(私のシンシア8世号。全長11m)の高さ12mのマストに登りました。

ヨットは6年ごとに定期検査、3年おきに中間検査があります。
今年は中間検査の年です。
4月22日に検査があったのですが、私は岩国に出張中。
妻が代わりに検査に立会いました。
検査官は厳しい人と、優しい(寛大な)人がいます。
検査は、法定備品があるかないか、航海灯が付くか、エンジンは掛かるかなどを調べるわけです。
今回の検査ではバッテリーが上がっていたので、航海灯の点滅確認ができず、後日写真を送るようにとの指示がでました。
中間検査だからと軽く考えていました。今回は厳しい方に当たったようです。当たり前といえば、当たり前ですが、、、、。
バッテリーを充電して、チェックすると、マストの全周灯がつきません。
どうやら、電球が切れているようです。
しかたなく、マスト登山となりましたが、ヨットは陸の上、しかも船台に乗っています。
ちょっとでも、船体のバランスが崩れれば、ヨットは倒れ、私は重体、もしくは死亡。
海の上なら、運がよければ、海に落ちるのですが、、、。
友達に、命綱をもってもらい、ゆっくりと登りましたが、とにかく、恐かったです。
しかも、マストのてっぺんで、ドライバーを使って作業をしなければなりません。
片手で、身体を支えての作業、遊びとはいえ、恐いですね。
降りた後、マストを見上げて見ると、はやり高いですね。
友達が記念にと写真を撮ってくれました。
いつまでも若くないですね。

2008年05月12日

66歳手漕ぎで太平洋横断に挑戦 5.11

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30年前、私が挑戦した太平洋横断と同じ手法で、立尾さんが2度目の挑戦しています。
私の横断記録は、ホームページをご覧下さい。

以下は新聞記事です。

「静岡市の金属加工業立尾征男さん(66)が櫓(ろ)を使った手こぎ舟で、和歌山県新宮市の三輪崎漁港を4月21日に出発、太平洋を横断し、米西海岸を目指している。
す。4年前にも挑戦し暴風雨に遭い漂流。再挑戦に「恐怖心はない」と意気込んでいるが、当時、第1管区海上保安本部(小樽)などの捜索で救助されており、串本海上保安署は「安全上やめてほしい」と困惑している。
 ヨットを改造した全長7メートルの舟は櫓をこぐ力だけで進み、時速は約4・5キロ。強い波でも海水が入らないよう密閉型にするなど、4年間かけて改良を重ねたといい、百数十日かけて太平洋を横断する。
 立尾さんは平成13年にヨットでの単独無寄港世界1周に成功。16年5月、手こぎ舟で岩手県を出港、太平洋横断の途中、無線機が海水に漬かって使えなくなり、遭難信号を発信、2日後に救助された。」

堀江さんもすごいけれど、立尾さんもすごいですね。
チャレンジ精神を大切にしなければいけません。
生きている証なのかもしれません。
「夢は大きく、根は深く」
私も冒険家のひとり、今も大きな夢を持っています。

写真を見て:
私の経験からすると「櫓」と「船体」の取り付け部分が少し気になります。
大海では大きな負担がかかるところです。
それと総重量ですが、船の大きさからすると1.5トンくらいに抑えたいですね。
食べて軽くするのが、手っ取り早いかもしれません。
経験豊富な立尾さんですから、大丈夫だと思います。
頑張って、夢を実現してほしいですね。

2008年05月16日

グリーン・カーテンとツバメ 5.16

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事務所玄関の手すり部分など3箇所に、グリーンカーテンを作りました。

アサガオを育てる予定でしたが、貧乏人の性格上、どうせなら実のなるものをと考え、ゴーヤとキュウリを植えました。
ゴーヤは苗を植えた翌日にはツルが、ネットに3周巻きついていました。
さすが沖縄、すごい生命力ですね。
夏の収穫が楽しみです。
(ちなみにネットは1.8m角で280円でした。苗とプランターと土をいれて1000円です。楽しいですよ。)

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玄関先のツベメはついに卵を産んだようです。

巣のそばに行っても、ツバメが逃げなくなりました。
今年こそは、子育てをさせ、立派に巣立ちをさせたいものです。
(先日、巣の一部が壊れてツバメが来なくなったので、その間に、私がこっそり木工ボンドで補修しました。その翌日に戻ってきました。)

2008年05月27日

手漕ぎで太平洋横断中の立尾征男さんが航海を断念5.27

手漕ぎボートで太平洋横断に挑戦していた立尾征男さんが、航海を断念されました。
(5月12日のブログに書かせて頂きました)

【5月26日10時56分配信 読売新聞】
25日午後6時20分ごろ、宮城県の金華山灯台から東南東約1350キロの海上で、手漕(こ)ぎボートによる世界初の太平洋単独無寄港横断を目指していた静岡市駿河区の金属加工業立尾征男さん(66)から田辺海上保安部(和歌山県)に救助要請があり、付近を航行していたクロアチア船籍の貨物船が26日午前1時15分ごろ救助した。
第2管区海上保安本部(宮城県)の発表によると、立尾さんは航海中、横波を受けた際にバランスを崩して左腕を骨折したが、健康状態は良好という。貨物船に乗船して28日朝、茨城県鹿島港に着く予定。
立尾さんは4月21日に和歌山県・三輪崎港を出港。2001年には国内最高齢でヨットによる単独無寄港世界一周に成功している。

以上が新聞記事ですが、怪我での断念だけに、きっと無念だったと思います。
私もほぼ同じ場所で転覆して漁船に助けられました。
幸い、航海を続行できたのは運のよさと、若さゆえの無謀さだったのかも知れません。

年齢的に2度目の失敗ということもあり、再度の挑戦は難しいかもしれませんね。
相当な準備期間があっての挑戦だっただけに、考えさせられました。

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30年前、単独太平洋横断中のヨットと私(八丈島東方海上:朝日新聞社撮影)
この10日後、昭和52年6月21日、時化で転覆しました。
私の場合、いざというときのために、マストはそのままにして、セールだけを使えないように封印して航海しました。
転覆後、帰港するつもりで、一度だけ帆を張りました。
その後、再度、封印しましたが、一度帆を張ってしまいました。
だから、私の記録は漕いで渡ったのではなく漂着ですね。
【詳しくはホームページをご覧下さい】

2008年05月31日

7月10日『手紙でつむぐ親子のきずな』発売 5.30

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『手紙でつむぐ親子のきずな』【ぼくらがもらった宝物】が創元社より、7月10日に発売されることが正式に決定しました。定価1500円だそうです。

ブックカバーのデザインは、まだ正式決定ではありませんが、私自身はたいへん気にいっています。

帯には、
子ども自然体験キャンプ、ジュニア洋上スクールの
3日目の夜……親から、愛情いっぱいの手紙が届く。
        涙のなかで、
     生き方を学ぶ子どもたち。
(「涙のなかで・・・子どもたち。)』


生まれてきてくれて、
ありがとう!


弁当箱を開いたとき、目の前に現れた二枚の紙切れ。
「生きて帰れ 父」「がんばれ 母」
私はその日、大きく揺れるヨットの中で、声を上げて泣きました。
二枚の小さな紙切れは、私の大切な宝物です。
このときの感動と、親子のきずなの大切さを多くの子どもたちに伝えたい
という強い願いから、私は、平成三年以来、「手紙」を活用した教育活動に
取り組んできました。              ―――はしがきより

の文章が入る予定です。
出版社の創元社のみなさん、そしてデザイナーの方に感謝です。

『親子・家族のきずな』が問われている時代です。
親思う心にまさる親心、今日のおとずれなんと聞くらん」(吉田松陰先生)

今、教育問題や少子高齢化などの社会問題が、日本の大きな課題となっています。
しかし、教育の原点、日本再生の原点が親子・家族のあり方にあることに、気づいてほしい。
そんな願いを本にまとめさせて頂きました。
子どもたちが輝かない日本に未来はありません。


2008年06月01日

2年ぶり、ゴルフに挑戦 6.1

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M.N会のゴルフ大会に誘われ、2年ぶりにゴルフに挑戦しました。
「最低2.3日は練習をしてからでないと、大恥をかく」と思いながら、忙しくてその暇もなく、結局、ぶっつけ本番。
場所は、難関と言われる宇部カントリークラブの「江畑池ゴルフコース」。
難しいコースだそうで、「岡村、お前には早すぎる。ボールは2ダース持っていけ」などと言われていました。
「一緒に回る人に迷惑をかけてはいけない」と思いながらのゴルフでした。
しかし、私にとっては、過去最高にいい記録がでました。
緊張感がたいせつですね。
練習なしで挑戦して、失ったボールはわずか3個。
表彰式では賞品まで頂きました。

ちなみに私は超ビギナーで120を切ったことがありませんでした。
その私が115。
お祝いをしなければいけません。


2008年06月26日

「私自身が経験した犬吠埼東方海上での転覆事故」

27日午前10時より、山口県議会一般質問の冒頭で話す予定の文章です。
インターネットで生中継されています。

「私自身が経験した犬吠埼東方海上での転覆事故」

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6月23日午後1時30分、千葉県犬吠埼の東350キロの太平洋で、巻き網漁船「第58寿和丸」135トンが転覆し、4名が亡くなり、13名が行方不明となる海難事故が発生しました。
この海域は南東からの黒潮と、北からの親潮がぶつかりあい、三角波ができ易く、世界の難所の一つとなっています。
昭和43年、全長200メートルの巨大鉱石運搬船「ぼりばあ丸」が、真っ二つに折れて、沈んだ場所でもあります。
私は31年前、昭和52年、手作りヨットによる単独太平洋横断中、一度、ヨットが転覆しました。
第58寿和丸が転覆した2日前の6月21日、ほとんど同じ海域でした。
当時、朝から海は時化ていましたが、それほど、大きな波はありませんでした。
午後から雨が降り出し、私はデッキに出て雨で身体を洗い、船内に戻った直後、突然、右舷側から、ゴーッという大きな波の音がし、ドッガンという強いショックがあった次の瞬間には、天井に四つん這いになっていました。
ヨットが転覆したのです。
私は次の波で、すぐに起き上がると思っていましたが、5分待っても起き上がる気配がありません。
海水がヘソの辺りまで入ってきたとき、ついに諦めました。
ハッチを開けて船外に脱出し、救命ボートを膨らませて、乗り込んだ直後に、ブツンというショックを受けました。
何か分からずに、SOS発信機の用意をしながら振り返ると、何とヨットは船尾を少し持ち上げた形で、起き上がっていました。まるで神様を見たような気になりました。
ところが、ブツンといった音は、ヨットと救命ボートをつないでいるロープが切れた音でした。
ボートはどんどん流されていきましたが、なぜか、15メートルくらいで、ピタッと止まりました。
細い1本のロープがヨットとボートに絡まっていました。
ゆっくり切れないように手繰って、ヨットに戻ったとき、「生かされた」と思いました。
バケツで3時間かけて水をかい出しました。
時計は午後3時9分を指して止まっていました。
船内は足の踏み場もないような状態でしたが、まだ航海を続ける気力だけはありました。
しかし翌朝、船体の点検をしてみると、一晩でバケツ3杯の海水が、漏り、船底に溜まっていました。
結局、諦めて、日本に帰る決断をしたとき、目の前に神様が現れました。
一隻の漁船がゆっくりと近づいてきたのです。
茨城県のカツオ漁船「第11祥天丸」です。私は食料やラジオと共に「がんばれ」とのエールを頂き、航海を続けることができました。
ヨットが転覆した夜、母は、私がヨットの中で寂しそうにうずくまっている姿を夢で見たそうです。
悪い予感がしたのだと思います。
その翌朝、母の手許に、私のヨットがひっくり返ったという電報が届きました。
その電報を受け取ったときの母の気持ちを考えると、とても耐えられなかったと思います。
以来母は、友達から「お百度参りをしたら」とか「願掛けをしたら」と言われると、言われるままに、何でもしたそうです。
そうしなければ、私が死んでしまうと思ったそうです。
そんな苦労が祟ったのだと思います。
私が無事に帰った姿をみて安心したのか、帰国して1ヶ月後、母はついに倒れ、3ヶ月間、日赤病院に入院しました。私のせいだと思っています。
お陰さまで母は83歳になりましたが、今も元気です。
多くの方々の願いと祈りのおかげで、私は太平洋を、無事横断することができました。
今、行方不明で、安否が気遣われている方々の、身内の皆さまも、きっと母と同じ気持ちだと思います。
無事を祈らずにはおれません。

(亡くなられた方々には、心よりお悔やみを申し上げます。)

2008年07月17日

7月21日(月)17:00~KRY山口放送「熱血テレビ」で放映

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7月21日(月)17:00~ KRY山口放送「熱血テレビ」で、先日出版された私の著書「手紙でつむぐ 親子のきずな」(創元社・刊)の内容が7分間にわたって放映されます。

司会の高橋裕さんは、かつて「ズームイン朝」の取材で、お手紙を活用した活動を取材されたことがあります。
手紙のもつ「大きな意味」を理解されているだけに放映が楽しみです。
上の写真は、昭和52年5月17日、午前7時30分、私がヨットによる太平洋単独横断のため、宇部港を出航するときの父と母の姿です。
当時父は61歳、母は53歳です。
今回の取材と編集で、私の太平洋横断について、テレビ局に保管されていた過去の映像を見ているときに、探しあてたのだそうです。
こういうときでなければ、絶対に見ることのできない映像です。
この1枚は私の宝物ですね。
父の目の向こうに、宇部港を出航する私の姿があったのだと思うと、涙が出ます。
親不孝者でした。

21日、ぜひご覧下さい。

2008年07月30日

日本女性には清純、清楚が似合います。 7.30

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写真は、神戸の女子中学生。笑顔を可愛くて、写真を撮らせていただきました。

最近、「アジアンビューティー」という言葉が流行語となり、若い女の子たちのスタイルが日本人らしく、しかも健全になってきました。
高校生、大学生の茶髪が少なくなり、東京に行っても、大学に行っても、超ミニスカートの女性をほとんど見かけなくなりました。
パンツスタイル、ジーパンが多いですね。
なぜか、真面目そうに、賢く見えてうれしいです。
どうも若い女性の格好が気になっていただけに嬉しい傾向です。
日本人の女性には、清楚、清純がピッタリです。
我が娘は如何に、、、、。

アラジンの「陽は、また昇る」という歌を聴きました。
「頑張れ日本。日本のサラリーマン・・・・」
大ヒットしそうな歌です。
「日本を少しでも良くしよう。大切にしよう。見直そう。誇りを持とう。」
という内容、賛否はあっても、嬉しい歌ですね。

2008年07月31日

卒塾生の結婚式(松谷綾子さん) 7.26

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卒塾生の松谷綾子さんの結婚式に夫婦で出席しました。

式は神戸市内で行われ、相手は山口大学大学院を卒業した建築技術者です。
彼が学生時代から付き合っていたとのこと。素敵な男性ですが、私は当日まで、知りませんでした。
さて、綾ちゃんは今回出版した「手紙でつむぐ親子のきずな」にお母さんと祖母の手紙、そして綾ちゃんの感想文を掲載していますが、家族の愛情を一杯受けて育った素直な優しい女性です。

私の塾には中学1年生のときに入塾しました。
高校生になってからは、キャンプや洋上スクールのスタッフとして、子どもたちのお世話をしてくれました。

新婦の主賓としての挨拶をさせて頂き、綾ちゃんの祖母の手紙を読ませて頂きましたが、涙が出てきました。
『新郎は、いい人も嫁さんに見つけましたね。
男性にはいつも「嫁さんはキャンプ場で見つけろ」と言っています。
子どもたちのお世話を、炎天下、一生懸命している女性くらい素晴らしい人はいません。
私の女性スタッフは、誰も素晴らしい人ばかり。
綾ちゃんはその大切なキャンプスタッフです。
新郎、あなたは幸せですよ・・・・』
ついつい長話をしてしまいましたが、いい結婚式でした。
今月はあと2回、結婚式に家族でご招待を受けています。
私は幸せ者ですね。

上温湯翼(うわぬるゆつばさ)君が、突然、来訪 7.31

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中学高校時代、ジュニア洋上スクールに、毎回参加してくれた大阪の上温湯翼(うわぬるゆつばさ)君が、突然、訪ねて来ました。今は防衛大学の学生です。

彼は、ジュニア洋上スクール団員として、中学1年生から高校2年生まで毎年、参加しました。
中国への洋上スクールでは、寄港地での文化交流会で、剣道を披露してくれたのですが、中国人の子どもたちに、防具姿を笑われ、悔し泣きをしました。
一途さが彼の素晴らしさです。

大学受験では、防衛大学を受験しましたが、残念ながら不合格でした。
しかし、国立大学入試では、「大阪大学」に合格しました。
私は当然、大阪大学に入学したものだと思っていましたが、防衛大学への夢が捨てきれず、浪人。
翌年、再度、防衛大学を受験し合格しました。
今は2年生。いい男です。
夏の制服姿を見せたくてとわざわざ、来てくれました。

キャンプの準備をしていたスタッフたちと記念写真を撮りました。

2008年08月24日

宮田哲生君の結婚式(鹿児島)に15名参加 2008.8.23

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宮田君の鹿児島での結婚式に、スタッフ15名で参加しました

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結婚式の最後に、宮田君が今の思いを詩にして書きました。

「森と海の学校」のスタッフとして、学生時代に、ジュニア洋上スクールやキャンプを手伝ってくれた宮田君。
現在、鹿児島県の小学校の先生としてがんばっている宮田君。
彼は結婚式に、スタッフ15名を招待し、ワゴン車2台で参加しました。

午後4時30分、人前結婚式で始まった披露宴が終わったのは午後9時30分。
何と5時間の結婚式でした。
しかし、まったく疲れない楽しい結婚式でした。
その彼が、最後に新婦の尚美さんのために、詩を書きました。

「見てくれている。
必ず、今日も見てくれている。
尚美の父親
幸男さんも今ごろ見てくれて、
きれいだと、がんばれと、
幸せになれと言ってくれている。
そう思うとき、
幸せにする。
しないといけないと、
強く強く思う。」

(尚美さんのお父さまは、既に他界されています。)


2008年10月01日

河村建夫先生が書評を掲載 9.30

河村建夫先生が自民党の機関紙「自由民主」に私の著書「手紙でつむぐ親子の絆」に対する書評を掲載して下さいました。
出版記念会のとき、事前にお渡ししていたら、すぐに読んでくださっており、感動したことを、挨拶でお話下さいました。大感謝です。

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掲載された後、日本教育新聞社より、取材の電話がありました。
また、新たな広がりができそうです。
7月に放映された山口放送の「熱血テレビ」の内容が、素晴らしくて大きな反響があったり、有難いと心から感じています。
先日、市内の福祉施設で、「親子の絆」について講演をさせて頂きました。
手紙の映像を見ていただき、子どもが手紙を読んでないている姿に、多くの方が涙して下さいました。
「子どもはお母さんから褒められたくて頑張っています」
「大人の私たちも、妻や家族から褒められたくて頑張っている」
本音のことだと思います。
皆さんはいかがですか。


2008年11月10日

日本教育新聞に掲載11.10

日本教育新聞が、7月出版した「手紙でつむぐ親子のきずな」を取り上げて下さいました。
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宣伝不足か、売り上げ冊数はまだまだのようですが、1000冊も買って下さった茨城県の高等学校の理事長さん。
40冊を親戚や知人に配布された千葉県のお年寄り。
社員に配布するために100冊単位で購入された社長さんなどなど、うれしい話もあります。
最近は映画化の話も、、、、。
私の役は、ぜひ吉田栄作さんでお願いしたいですね。

2008年12月30日

立派な門松を頂きました。12.30

手作りとは思えないほど立派な門松を頂きました。

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私が顧問をさせて頂いている山口県鳶工業連合会(栗栖龍男 会長)の皆さんが作られたものです。
玄関先におくと、事務所が立派に見えます。
有難いですね。
28日に開催された河村建夫官房長官の祝賀会では、鳶工業連合会の皆さんが江戸町火消の鳶伝統文化である梯子乗りを披露して下さいました。
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河村建夫内閣官房長官就任の祝賀会が全日空ホテルで開催され600名が参加しました。
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先生の里帰りは91日ぶりだそうです。
12月2日、衆議院会館に先生をお伺いしたときは、10名の記者が取材中でした。
私が先生の部屋に入ると、記者の皆さんはさっと部屋から出て行かれ、15分程度、話をした後、部屋から出ると、10名の記者が廊下で待っていました。
私が出るや否や、再び部屋に入って行かれました。
さすが内閣の№2ですね。
身体に気を付けられて、政界の難局を乗り越えて頂きたいです。


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2009年02月23日

「こころを育む教育活動」特別賞・ブロック大賞受賞 決定

財団法人パナソニック教育財団(旧:松下教育研究財団)「こころを育む総合フォーラムの2008年度「こころを育む教育活動」で、NPO法人「森と海の学校」が、特別賞とブロック大賞の2つを受賞することが決定しました。

「こころを育む総合フォーラム」(遠山敦子(元文部科学大臣))は、全国各地ですでに実践されている子どもたちの“こころを育む活動”を支援し、あわせて、子どもたちの“こころを育む活動”に携わる個人および団体の活動事例を募集し、優れた活動を表彰して広く紹介する活動です。

1月12日パナソニック教育財団から、「森と海の活動」の視察に3名も来られました。
キャンプ中の映像を見て頂き、指導員や参加者とその保護者から、意見を聞いて頂きました。

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指導員の立ち居振る舞い、しっかりさ、何より若さに驚かれていました。
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私が体験教育活動として、昭和59年、「おかむら塾」を開校して25年目、森と海の学校は10年目。
子ども自然体験キャンプは25回目、ジュニア洋上スクールは20回目。
結婚25周年。議員歴も10年目となりました。今年は何かと人生の節目となる年です。
有難いことだと、心から感謝しています。

今回の受賞理由は、
1.4泊5日の長期キャンプを25年間も続けている民間団体はほとんどないこと。
2.青少年指導者の育成:多くの団体が後継者不足で悩んでいるなかで、常に若い指導員で
  事業が継続されていること。
  「森と海の学校」の指導員は、すべて高校生と大学生です。
  キャンプの企画、運営は、もちろん下見、打合せ、スタッフマニュアルの作成も、すべて彼ら
  によって行われています。
  大学生は卒業すると就職します、抜けた指導員をキャンプに参加した経験のある、高校生
  や大学生に引き継がれてきました。
  25年間、キャンプもジュニア洋上スクールも、こうして引き継がれてきましたが、事故は一
  度もおこっていません。
  指導員と参加者の年齢が近いと、参加した子どもたちは「将来、あんな指導員になりたい」
と大きな憧れを持ちます。
このことが大きな教育効果を生んでいます。
3.「手紙を活用した教育活動」

特に今回、特別賞をいただけたことは、今後の大きな励みです。
表彰式は3月20日、東京で行われます。
表彰式には私も参加しますが、舞台には学生だけを上げて、私は下から見守っていたいと思っています。
今まで何度か、テレビ番組でジュニア洋上スクールやキャンプで頑張っている学生を主体にする企画の収録が組まれました。
しかし、いつも手紙のシーンに取材スタッフが感動してしまい、最終的には私が主人公になっていました。
「ムーブ2005」(毎日放送の30分番組)のときも、当初、子どもたちのお世話をしている学生を主体に収録する予定でした。
当時、主席指導員を務めたのは、松永(専門学校の学生20歳)さんという女性でした。
女性が主席指導員を努めたのは2度目です。
事業が終わり、楽しみにしていたら、編集段階で会議があり、最終的には私が、というより手紙が主役になってしまいました。

今回の表彰では、旅費が3人分も出るそうです。
学生を行かせて、最後まで、彼らに光をと願っています。
「ボランティアと言えば、福祉ばかりが取り上げられますが、炎天下、子どもたちのお世話を一生懸命している学生に大きな光を当ててほしいですね」
届いた受賞決定の封筒:2月22日
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副賞として、盾と30万円が頂けるそうです。使い道で揉めなければいいのですが、、、。

  


2009年03月04日

「森と海の学校」ダブル受賞【宇部日報】2009.3.4

受賞決定のことを「宇部日報」が1面に取り上げてくださいました。有難いですね

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4泊5日の自然体験キャンプを25年間も続けてきた民間団体は、全国でもないそうです。
継続は力ですね。スタッフのおかげです。

授賞式には、主席指導員を勤めた学生など6名で参加します。

2009年04月13日

愛犬「コロ」が大ケガをしてしまいました。4.11

我が家の愛犬の「コロ」(メス)が大ケガ。
夕方、私が散歩に連れていき、途中で友人と話をしている間に、首輪が抜けて逃走。
山の中を走っているうちに、「わき腹」に長さ7cmの深い、切り傷を受けてしまいました。
阿知須の松田獣医科医院に連れて行ったところ、麻酔をして縫合してくださいました。
普段は外で飼っている犬ですが、余りにも不安そうな顔をしていたので、夜は玄関で寝せています。
全治2週間ですね。
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かわいそうなほど、大きな傷口が開いていましたが、手術のおかげで、きれいに縫合されました。

2009年04月20日

飛行機の操縦席から手を振る機長 4.18

18日17:05東京発、山口宇部空港行き、18:40着の全日空機に搭乗しました。
宇部空港到着後、機長から
「本日はご搭乗、誠にありがとうございます。機長席より、手を振って、皆様をお見送りさせて頂きます」
とアナウンスがありました。
ボーディング・ブリッジから振り返ってみると、本当に手を振っておられ、感動しました。

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初めての経験です。
搭乗者への配慮だと思いますが、さすがです。
私も事務所に来客があると、必ず、玄関の外までお見送りをしていますが、
もっと、もっと、見習わなければいけないことが、たくさんありますね。

2009年05月06日

「山口県レク協会」事務局の心遣い5.1

「山口県レクリエーション協会」の総会に、宇部市レクリエーション協会会長という立場で、毎年参加しています。
出席者には交通費が支給されていますが、その封筒の裏側に「本日は総会へのご出席ありがとうございます」と書かれていました。
30名を超える参加者に一人ひとり思いを込めて書かれているのでしょうが、その気配りに感謝、そして感動です。
昨年も封筒の裏に、同じ文面で書かれていました。
小さなことですが、大切な日本人らしさだと思います。
レクリエーションとは、こういった心を大切にすることなのですね。
ありがとうございます。
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2009年09月02日

学位論文(工学博士)を提出しました。 8.31

8月12日、日本建築学会の2つ目の論文採用が決まり、8月31日、山口大学大学院係に審査用の学位論文(工学博士:安全環境工学分野、防災対策)5冊を提出しました。 学位を志して7年目、やっと夢が叶いそうです。
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学位論文の題目は
『大災害を想定した早期設置型「戸建てシェルター」の開発と評価』
(Development and Evaluation of Sectional Compact Emergency Shelterfor Early Supply in The Great Disaster)
総頁数はA4版で150頁です。
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一般公開のために県庁議会棟前に搬送された早期設置型「戸建てシェルター」の試作品
(組立て前は幅2.2m長さ2.5m、高さ0.8mの箱状)
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組立後は、室内にベッド4、テーブル、トイレ、シャワー、冷蔵庫、台所が備わった戸建てシェルターになります。組立て時間は約45分。解体は約30分。組立作業にクレーンは必要ありません。
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新潟県中越地震発生後、被災地である小千谷市に搬送設置された戸建てシェルター。災害ボランティアの青年たちが、1ヶ月居住実験を兼ねて生活しました。

既に、学位論文の予備審査は、昨年6月に合格しているので、今回は本審査用の論文です。
これから教授会の審査、公聴会がありますが、早ければ10月にも学位(工学博士)を受けることが可能だそうです。
しかし、担当教授で工学部長の三浦房紀先生から、「来年3月、本校で授与された方が感動的だから」との意見を伺い、半年、待つことにしました。

大学院で防災対策の勉強と研究を始めて、9年目なりましたが、あきらめないで良かったです。
平成12年 9月:山口大学大学院理工学研究科、博士前期(修士)課程入学
           環境共生工学専攻(防災システム工学分野)
平成14年10月:同上 博士前期(修士)課程修了
平成14年 9月:山口大学大学院院理工学研究科、博士後期課程入学
       環境共生工学専攻(安全環境工学分野)
平成20年 9月:同上 単位取得退学

博士課程に入学して、7年目。
普通なら3年間で修了ですが、社会人は時間的に厳しいですね。
我が家は大学生が、私を含めて3人、たいへんな出費でした。
すべて、大学院の授業料を支払うことに理解をしてくれた妻のおかげです。
9月3日は妻の誕生日、お礼をしなければいけません。

【大学院を志した動機】
平成7年、阪神淡路大震災が発生し、6000名の死者を出す大災害となりました。
そして平成11年、台風18号による高潮災害で、宇部市、特に宇部空港や西岐波地区は大きな被害を受けました。
平成11年末、「これからは、地震や台風まど自然災害の多発時代が来るのではないか」との予感から、「本格的に災害対策を学ぶべきだ」と思って、山口大学の入試係を訪ねました。
「私は宇部高専の機会工学科の出身ですが、山口大学の社会建設学科に入学したい」と話し、社会人入試による編入についてお願いしました。
しかし、「学科が違うため、全日制での編入学は認められない」と言われ、結局、夜間の学科を受験することになり、合格しました。
工学部の夜間3年生への編入学が決まり、3月に入学手続きを行うために大学に行くと、偶然であった先生から、「岡村さん、入学するのは、ちょっと待ちなさい。入学規則が変わったので、半年待って、大学院に入学したらどうですか」と言われて、びっくりしました。
「私は高専卒ですよ。2年、飛び級ですか。」
「岡村さんは1級建築士、1級土木施工管理技士ですよね。しかも、防災で論文も提出している。たぶん、大学卒と同等の資格として認められます。」
そのあと、防災工学の三浦房紀教授からも声を掛けられ、「どうせなら、私の研究室で、防災対策を研究しませんか」と勧められました。
6月の大学院を受験申請を出しました。
「1級建築士であること」
「防災対策で一度、論文を発表していたこと」
「『子どもをダメにしない住まい方』などの建築関係の本を出版していたこと」
で、大学卒業と同等であると認められ、大学院への受験資格を頂きました。
8月に、英語と面接の入学試験を受験し、合格。
平成12年10月に大学院に入学し、当時、市議会議員ではありましたが、2年間で修士課程は修了することができました。
博士課程進学までは考えていませんでしたが、三浦先生の勧めもあり、進学しました。
県議会議員に当選し、急に忙しくなり、なかなか大学には通えなくなりましたが、何とか3年間で学科単位だけは取得しました。
問題は日本建築学会の査読論文です。
メジャーな学会で、A級論文が2つ採用されなければ、大学に学位論文は提出できないという規程があります。
日本建築学会に初めて提出した2つ論文は、1つは不採用、もう1つは再査読。再査読だった論文はすぐ修正を加えて採用されました。
あと1つですが、これが苦労の始まりでした。
再挑戦した論文は、再査読のあと、不採用。
昨年、再度提出した論文は、またも再査読。
しかし、たぶん採用されるだろうとの予測で、三浦先生とも相談して、大学院係に博士論文の予備審査申請を提出しました。
予備審査は無事、合格しました。
肝心の査読論文の採否通知は、12月24日、クリスマスのイブに届きました。
妻が「お父さん、クリスマスプレゼントが届いたよ。」と笑顔で持ってきたので、おそるおそる開けてみると、なんと不採用。
さすがに2回連続の不採用には、落ち込みました。
今年に入って、再挑戦を決意し、3月に査読論文を日本建築学会に提出しました。
5月再査読通知、そして8月12日、ついに採用通知が届きました。

総選挙と子ども自然キャンプ(4泊5日)で忙しい時期だったので、本論文は9月に入ってからと軽く考えていました。
しかし、大学院に問い合わせると、「単位取得退学から1年以内に論文申請を大学院係に提出しないと、単位認定博士による申請ができなるとの規程があり、、8月31日までに出してほしい」との返事。
25日、阿蘇でのキャンプから帰って、昼間から夜にかけては河村官房長官の選挙応援、深夜は論文書きの毎日。
予備審査用の論文を書いていたおかげで、30日深夜、やっと仕上がりました。
31日は朝から事務所の職員にも手伝ってもらい、まだ、湯気が立っているような状態の学位論文を5部作り、午後4時に大学院係に提出しました。
これから、審査会や公聴会がありますが、大きなトラウマがとれ、ホッとしています。
振り返ると、やはり妻に感謝。三浦先生、村上先生に感謝ですね。

【学位論文要旨】
大災害を想定した早期設置型「戸建てシェルター」の開発と評価
(Development and Evaluation of Sectional Compact Emergency Shelter
for Early Supply in The Great Disaster)

阪神・淡路大震災では、6千名を超す犠牲者を出す大惨事となり、兵庫県では避難所1,153か所に約32万人の被災者が避難した。必要とされた応急仮設住宅は約5万戸だったが、1か月後に建設された応急仮設住宅は1,250戸であり、7ヶ月たった8月11日までに完成したのは4万8,300戸だった。特に市街地では敷地の確保が難しく、応急仮設住宅が自宅から離れたところに建設され、自宅の修理などに支障をきたした事例もある。また、復興の初期の過程において、自力で従前居住地に住宅・店舗・工場の建設に取組んだ被災者もいる。
現在使用されている応急仮設住宅は、軽量鉄骨で骨組みを組立てて外壁を形成する方式と、コンテナハウスを現地で連結する方式の2通りがあり、災害の規模にもよるが、2000年鳥取県西部地震の日野町や2000年北海道有珠山噴火の虻田町では被災後約20日、また新潟県中越地震では被災後約30日で最初の入居が可能になり、3,460戸の建設に2ヶ月を要した。
また、既存の応急仮設住宅では、大規模な災害が発生した場合には、建設場所・資材置き場の確保、建設日数の長期化、大工等の作業員およびその宿泊場所確保などの観点から対応できないという問題もある。
避難所生活は被災者の孤立化を防ぎ、情報を共有できるなどの利点もあるが、プライバシーのない生活を強いられ、心身の健康に影響を及ぼし、自家用車等での窮屈な生活によるエコノミー症候群も問題となっている。
既往の研究においても、応急仮設住宅や復興住宅の建設に当って、避難所からの早期開放、従前居住地近くに居住すること、住宅復興の選択肢を増やすことの重要性を指摘している。
本研究では緊急避難施設の選択肢の1つとして、従前居住地である被災した自宅そばに設置し自宅の修理など、住宅復興支援の選択肢として、避難生活からの早期開放と住宅の復興を支援する対策として災害発生後、被災地に配送し、早急に居住可能となる小型の「早期設置型の戸建てシェルター」の開発を行い、アンケート調査と居住実験により、その居住性に関する検討を行い、その活用方法を提案することを目的とした。
まず、過去約20年間に地震や台風、津波により、甚大な被害を受けた国内の7市町おいて設置された避難所と応急仮設住宅を調査した。調査分析結果に基づき、戸建方式の災害用「早期設置型の戸建てシェルター」の必要性を確認し、備えるべき諸条件を把握し、「早期設置型の戸建てシェルター」の開発を行い、模型および試作品による実証とその運用に関する研究を行った。
開発・検討の過程において模型を6戸製作し、また原寸大の試作品5台を製作した。
「早期設置型戸建てシェルター」の必要性と居住性、活用方法を検討するため、宇部市で試作品による組立て・解体の公開実験と市民へのアンケート調査を行い、2004年11月、新潟県中越地震で被災した新潟県小千谷市に搬送し、同様のアンケート調査を行った。 
居住実験は小千谷市に設置し、災害ボランティア等を被験者として、1ヶ月間の冬季居住実験を行い、2006年7月~8月、山口大学工学部(宇部市)のキャンパス内に設置し、学生を被験者として夏季居住実験を行った。さらにアンケート結果と居住実験を評価検討し、新規・組立て式戸建てシェルターを試作し、居住実験を行った。
その結果得られた主な知見は、以下の通りである。
1)アンケート結果により、小千谷市と宇部市では、災害に対する意識の違いから、戸建てシェルターの必要性、使用限界日数、求める住宅設備にも、差があることがわかった。
避難所生活の限界日数より、戸建てシェルターの限界日数の方が長いことから、住民の期待に応えられる可能性が示された。また、避難所生活の不自由さとして、プライバシー、睡眠、食事、入浴、不安感などが課題となるが、戸建てシェルターはプライバシー、睡眠、食事などの課題を改善できることがわかった。
2)居住実験から、試作品は輸送に耐え、数週間の避難施設としての役割を果たせることが確認できた。しかしながら、本体構造の剛性、防火対策の必要性、組立て方式の簡素化、床面積の狭さに起因する問題点も明らかになった。
3)新規戸建てシェルターの開発では、上記2)で指摘された問題点を解決するとともに、火災からの安全性、また余震対策等に対する強度も考慮し、構造材料を軽量鉄骨にし、壁・屋根材も鋼板製に変更した。居住実験により、設備・居住性について改善されたことが確認された。
4)戸建てシェルターは基本的な生活のための居住性を有しており、さらに連結可能であることから、障害者や高齢者、大家族にも対応できる。全国に分散して備蓄することによって、災害時での早期設置が可能となり、戸建てシェルターの実用性は高いものと思われる。
以上のことから、戸建てシェルターは既往の研究で指摘されている3項目
①避難所生活からの早期開放
②従前居住地近くに居住すること
③住宅復興の選択肢を増やすこと
を満足するとともに、被災直後の避難施設の選択肢の一つとして、有効であることがわかった。


2009年10月17日

「努力は裏切らない!」日本ソフトボールリーグ観戦10.17

10月17日、北京五輪金メダリスト「上野由岐子投手」に会える第42回日本女子ソフトボールリーグ観戦バスハイク」を実施し、天候にも恵まれ、45名のご参加を頂きました。
「世界最速といわれる最高時速119kmを記録したストレートを投げる上野さんの試合が下関球場で行われる」との情報を聞き、「ぜひ後援会の皆さんをお誘いしよう」と「ルネサステクノロジ高崎事業所(上野選手所属)対伊予銀行」のチケットを取り寄せました。
試合で、上野さんの速球を見たかったのですが、残念ながら、ピッチャーではなく、DHでの出場。
しかし、観客席の最前列で、ウォーミングアップを間近で見ましたが、身体が大きく、ボールがキャッチャーミットにドスンと吸い込まれる音は、さすがですね。
試合後は、 ルネサステクノロジ高崎事業所 女子ソフトボール部の宇津木妙子総監督、宇津木麗華監督、上野由岐子選手と記念写真を撮らせて頂きました。
帰路は、精華学園高等学校に見学を兼ねて立寄り、教室で昼食を頂きました。
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バッターボックスの上野選手です。
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試合終了後の記念写真(中央が上野由岐子さん、左端が宇津木麗華監督、中程に宇津木妙子総監督)。皆さん、大感激でした。
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北京オリンピックで、日本チームの監督を勤められた宇津木妙子さんから頂いたサインボール。
「努力は裏切らない」。大切にしたいと思います。
気さくで控えめな、素晴らしい監督さんでした。

妻は「どうしても上野投手が投げる姿が見たい」と、18日も下関球場での豊田自動織機との試合を見に出かけました。
試合途中に電話があり、「上野投手が先発で投げてる」と感激した様子でした。

2009年10月21日

関白宣言に涙した父 10.20

父は大正6年生まれの92歳ですが、天気がいい日はバイクで魚釣りです。
75歳まで、現役の大工の棟梁でした。
母は大正14年生まれの84歳。結婚63年です。

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父が釣ってきたハゼ。全部で42匹。我が家では食べきれず、いつも近所に配っています。

9月議会「一般質問」の前段で話した関白宣言の話。ぜひ、読んでみて下さい。

「敬老会」でお年寄りの皆さんとお話をしているうちに、十数年の、我が家の出来事を思い出しました。当時、82歳だった父が、突然私に「もし、俺が死んだから、毎月、墓参りに来てくれるか」と聞いたので、私は「毎月は無理。年4回。盆と正月、それからお彼岸だな」と答えました。
我が家のお墓は、当時、防府にあったので、とても毎月行ける距離ではないと思いました。すると今度は「もし先に、ばあちゃんが死んだら、俺は毎日墓参りに行きたいが、どう思うか」と問いかけられ、「毎日」と聞いて、返事に困ってしまいました。
そのとき既に父は、私に内緒で近くの墓地を購入し、しかも、私名義でお墓の注文までしていました。返す言葉が見つからず、仕方なく、お墓を移動することに同意しました。
ところがいよいよ、お墓を移動するときになって、今度は「お寺を替わる」と言い出し、私と喧嘩になってしまいました。
父とは、かつて太平洋横断をして以来、ほとんど喧嘩をしたことが無かったのですが、そのときは私が怒りました。
「先祖代々、我が家のお墓を守って頂いているお寺があるのに、替わる必要はない。親父が死んでも、1時間もあれば、住職さんは防府から宇部まで来てくれる」と私が言うと、父は「これから、お前が防府に住むことは、ありえない」と答え、勝手にお寺を探し始めてしました。
 気まずいまま、年が明けた1月15日、テレビ番組で「さだまさし」さんがコンサートをしているのを、父と二人で、居間で見ていると、父が「関白宣言」を聞きながら泣いていました。
「お前を嫁にもらう前に」という歌詞で始まる有名な歌ですが、この歌を聞いて泣く人は珍しいと思います。
3番にこんな歌詞があります。
「子どもが育って、年をとったら、俺より先に死んではいけない。例えばわずか1日でもいい。俺より早く逝ってはいけない」
この部分を聞いて、父は泣いていました。
父はいつも、口癖のように母に「俺より先に死ぬな」と言っています。
母は近所の友だちと会話をしていると「私はじいちゃんを残して、先に死なれん」とよく言っています。
父は「死ぬな」、母は「死なれん」、
いい夫婦だなあと心から思います。
その1年後、父の要望を受け入れ、宇部市内のお寺に替わらせて頂きました。
父は大正6年生まれで今年92歳、母は大正14年生まれで84歳。父は75歳まで大工の棟梁だったこともあってか、とても元気で、今もバイクに乗っています。母は物忘れがひどくなり、身体の動きも鈍くなり、最近は、父が朝夕の食事の世話をするようになりました。
いつまでも、元気でいてほしいと思わせて頂いた敬老の日でした。

2009年12月04日

「博士論文公聴会」のご案内 12.4

「博士論文公聴会」のご案内

 宇部市議会議員に初当選した平成11年の10月、宇部市は台風による高潮で甚大な被害を受けました。
これから自然災害の多発時期が来るのではないかとの危機感から、災害対策を学ぶために、平成12年10月、山口大学大学院(防災システム工学科)に入学しました。
平成14年9月、修士課程を終えましたが、新潟県中越地震、有珠山噴火、福岡県西方沖地震、さらに山口県でも集中豪雨により大きな被害が多発するなどの事態を受けて、さらに知識を深めるため、10月から博士課程(安全環境工学分野)に入学しました。
しかし、議員としての活動のかたわらということで、単位は取得したものの論文が進まず、6年目を終え単位取得退学。(博士課程は3年間、6年以上在籍できません。)
そして7年目の今年8月、ようやく2編目の日本建築学会・査読論文の採用が決まり、8月末、学位論文を大学院係に提出しました。
先日11月24日、本審査を終え、このたび公聴会が開催されることになりました。
(学位授与式は平成22年3月16日、大学本部で行われます)
論文題目は「大災害を想定した早期設置型戸建てシェルターの開発と評価」です。「戸建てシェルターの開発」は、阪神淡路大震災の発生直後から取組んできた課題です。
これまでの研究成果をご聴講頂けると幸いです。


日時:平成21年12月18日(金) 午前9時~10時
場所:山口大学工学部(常盤台)
  (会場はD棟123号室です)
    ※誰でも参加できます。【駐車場もあります。正門からお入りください】
    ※当日、直接会場までお越し下さい。

ご参加頂ける方は資料作成などの準備の都合上、12月16日までに、FAX(44-4423)、電話、またはメール(seiji@okamura21.com)にてご一報頂けると仕合せです。

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審査会で、博士論文に赤ペンがたくさん入りました。
論文の修正がたいへんな作業ですが、あと少しです。
頑張ります。
あきらめなくて良かったです。本音です。
議員になって大学に入った人も稀だと思いますが、
議員になって学位を取った人は、全国的にもいないようです。

ここまで頑張れたのは、主査の三浦房紀教授(工学部長)、村上ひとみ准教授、そして、戸建てシェルターに関わった多くの皆さまのお陰だと心から感謝しています。
厚くお礼申し上げます。

我が家は大学生が3人(長男、長女、私)。
経済的にも、嫁さんが一番喜んでいます。

2010年01月13日

以西底引き網漁船の行方不明事故(同型船に乗船)1.13

36年前20歳のとき、私はまったく同型の以西底引き網漁船に、2ヶ月間乗船していました。
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(行方不明になった第2山田丸)

1月12日午前4時半ごろ、長崎県五島市・福江島の北西約85キロの海上で、長崎市の山田水産所属の以西底引き網漁船「第2山田丸」(113トン・10人乗り組み)が行方不明になりました。
現場付近で無人の救命いかだが発見され、7管は転覆するなど遭難した可能性が高いとみて周辺海域を捜索しています。
第2山田丸は長さ33・6メートル、幅6・8メートル。日本人4人と中国人6人が乗船していたとのことです。
真冬の海での遭難は残念ながら、絶望的とも言えます。しかも、この寒波です。
私はテレビで遭難した漁船の写真を見て、びっくりしました。
20歳で宇部高専を卒業した後、「ヨットによる単独太平洋横断」という夢を実現するための資金稼ぎと航海術を学ぶために、福岡に本社のある㈱トクスイの以西底引き網漁船「第11徳広丸」に乗船しました。
今回遭難した「第2山田丸」と同型の漁船でした。
色も形も同じ船です。
113トンの船に当時は12名乗船していました。
黄色の船首操舵室(ブリッジ)下には乗組員の居室があります。
居室といっても、蚕棚のような狭い空間で、寝台列車のベッドと同じくらいの空間しかありません。
底引き網漁船のため、エンジンの馬力は非常に大きく、また悪天候に備え喫水は深く、余程の事がない限り、転覆する構造ではありません。
当時の状況はわかりませんが可能性があるとすれば、船首が波で持ち上げられたときに、思いもかけないような高波が船尾から襲ってきた場合、もしくは船を回頭するとき大きな高波が襲った場合です。
私が乗船した頃は、冬場の漁の獲物は高値の大正海老でした。
1ヶ月くらいの漁で、船員は70~100万も給料をもらっていました。
当時の大卒の初任給は6~7万円ですから、凄い稼ぎです。
だからこそ、相当無理な操業をしていました。
私は2ヶ月で業船から降り、次に北海道を中心に重油やガソリンを運搬する国内航路の油タンカーに乗船しました。
500トンから1000トンくらいの船でしたが、冬の北海道も厳しい航海の連続でした。
船首の手すりは雪と寒風で海水が、直径15センチくらいに凍りつき、また新潟港では一晩で80センチの降雪も経験しました。
約3年間の船員生活で350万円のお金を貯め、ヨットを作り、昭和52年5月、手作りヨットによる単独太平洋横断に出航しました。

今は「第2山田丸」のご無事を祈るばかりです。

2010年07月20日

「日本を美しくする会」山口県年次大会(萩市) 7.18

「日本を美しくする会」の山口県年次大会が萩市の萩東中学校で開催さました。
宇部掃除に学ぶ会の一員として参加しました。

イエローハットの鍵山秀三郎相談役が主宰される「掃除に学ぶ会」に初めて参加したのは、15年くらい前で、講演先の大分県中津市でした。
友人に誘われたのですが、「トイレ掃除を行うことで、自らを磨く研修」ですが、きたない便器と向かい合うと「とことんきれいにしてやろう」という気持ちになります。
不思議ですね。
今回の年次大会には100名が参加しました。

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岩国市の「掃除に学ぶ会」のユニフォームです。
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掃除道具。並べ方にも「掃除道」(使いやすさ)があります。
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特別に参加して下さった萩東中学校の武波教頭先生です。
「一生懸命は美しい」の一言です。
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小便器1つと約1時間、格闘しました。尿石がなかなか取れなくて苦労しました。


2010年07月22日

キジ鳩日記(出窓そばの柿木に巣を掛けました)7.22 

事務所の私の机横にある出窓。
その出窓の外に植えた柿木に、なんと「キジ鳩」が巣を掛け、しかも卵2個を温めています。

今年はツバメが、事務所玄関の国旗用ポールの上にある金玉に掛けられた巣に戻って来なかったので、さみしい思いをしていました。
突然のキジ鳩の来訪にびっくりです。
参議院議員選挙の関係で、10日くらい不在していたのが良かったのかもしれません。
昨日偶然、出窓のカーテンを開くと、目の前に巣があり、卵を温めていたキジ鳩と目が合ってしまいました。
私もびっくりしましたが、キジ鳩はもっとびっくりした様子で、突然、巣から飛び立ってしまいました。
枯れ木で造られた巣には、ウズラの卵くらいの大きさの卵が2個。
窓のカーテンを閉めて5分後、さすが母鳥です。
巣に戻ってきました。
今日も朝から卵の上に座ったまま、じっと卵を温めています。
眺めているだけで、心が癒され、心豊かになれます。
大切に見守って、巣立ちを見届けたいものです。
今年は柿も、そばにあるレモンも実をたくさん付け、豊作になりそうです。

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窓から40cmくらいの場所なので、驚きです。

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食事に出かけた隙に、巣の中を撮影しました。
2個の卵が見えます。

2010年07月24日

事務所がシンシア3世号の展示室になりました。

事務所の入口左の部屋が「シンシア3世号」の展示室になりました。
見学を希望される方は、お気軽にお越し下さい。

元々、事務所を新築するとき、展示室として造り、この部屋に展示してあったのですが、防府天満宮の宮司の希望で、しばらく天満宮に展示され、その後「きららドーム」に行き、そして元の場所に戻ってきました。
「きららドーム」が国体の会場に使われることから、撤去を余儀なくされたわけですが、身近に置いて改めて眺めてみると、事務所に入るほど小さなヨット。
中に入って構造部材を見ると、5センチ×2センチのラワン、しかも船体は9ミリベニヤにペンキを塗っているだけです。
太平洋横断中は、毎日、バケツ半分くらい海水が漏っていました。
よくこんなヨットで太平洋を横断したものだと思います。
世間知らずだったからでしょうね。
ヨットによる単独太平洋横断が冒険といわれた頃、使用されたヨットで屋内に展示され、きれいに残っているのは全国で唯一、このシンシアだけになってしまいました。
日本人で初めて単独太平洋横断を行った堀江謙一さんのマーメイド号はサンフランシスコ海洋博物館のベランダに保管してあります。

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六分儀などの備品も展示してみました。
船内は当時のままです。

見たことのない不思議な結晶
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太平洋横断中、記念に採取し持ち帰った海水の入ったビンです。
日付変更線上、ハワイ同経度上、そしてサンフランシスコ湾で採取しました。
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太平洋横断から33年。長年、ビンを横にしたまま置いていたからでしょうか。
3本ともビンの底に、白い結晶が溜まっています。
塩の結晶だとすると、上にある海水は真水ということになりますね。


「キジ鳩」日記2

キジ鳩の巣を遠くから撮影してみました。
卵を温めている鳩を刺激しないよう、目をあわさないで撮りましたが、まずまずです。
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よく、こんな窓際にと思います。
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2010年08月01日

熱い夏の一日 7.31

今日も終日暑い1日でした。
昨日朝起きると、全身に発疹ができていて、びっくりしました。

炎天下、草刈に精を出しすぎて、ハゼの気に当ったのか、または汗疹かと不安なっていました。
友人が遊びに来て「これは若い頃、何か悪い遊びをしたのが、今頃、体力が衰えて出てきたに違いない」などと言われ、病院に言って来ました。
どうやら薬か食べ物に反応したらしく、薬を頂きました。
薬のおかげで、3時間後にはかなり、発疹が治まり、深夜、お風呂に入ろうと全身を見ると、ほぼ完治していました。
さすが、お医者さんですね。
今日は夕方から忙しい1日でした。

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7月15日の豪雨による地元自治会の被害現場。
個人住宅1軒のみの被害、加工した擁壁、掛け崩れの高さなどの関係で、傾斜地の災害認定は受けられず、現状では「行政が対応できる最大の応急措置です」。後は個人で行わなければなりません。

2010年08月03日

夏のひととき(夏祭り)

地元の原校区の夏祭りに参加しました。
今年は昨年より人出が多く、楽しい時間を過ごさせていただきました。
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子どもたちのお世話をする「根っこの会」に入っている妻の里美は、バザー券の販売係です。

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卒塾生の「女の子」、とは言っても今は1児の母親ですが、久々にお会いしました。
祭りなどに出かけると、必ずと言っていいほど、卒塾生たちに会います。
10年ぶりくらいに女の子の会うと、見違えるほど、みんな、美人になっています。
時には、声を掛けられても、誰か分からず、名まえを聞いて、当時の姿とダブらせながら、思い出を頭で探すことがあります。
入塾したころ小学生だった女の子が、今では、その多くが母親になっています。
卒塾生の子どもたちが。今年もキャンプに申し込んできているのですから、時の流れは早いものです。
今を大切に生きなければと思います。

「キジ鳩」日記 8.2

雨にも負けず、ひたすら卵を温める母鳥の姿。
見ているだけで、母は強し、立派ですね。

まもなく、孵化しそうです。

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テレビで児童虐待、育児放棄による赤ちゃんと幼児の殺人事件の話を聞くと、悲しくなります。

2010年08月19日

「あわび」を頂きました。8.19

周防大島町の村上さんから新鮮な「あわび」を頂きました。
氷の入った箱の中には、「あわび」と一緒に木炭が入っていました。
「あわび」を木炭に抱かせると、1週間も生きているそうです。
サザエや刺身、鯛まで頂き、急遽、キャンプの準備のために来ていた学生スタッフのために、夕食を兼ねたバーベキュウを行いました。
肉を買ってきて、事務所の玄関前は大賑わいでした。
久々のバーべキュウ。
たまには、いいですね。

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頂いた大きな「あわび」。見るからにおいしそうです。
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神戸からキャンプのお手伝いに来てくれた井筒ゆきのちゃん。
高校1年生です。

第27回子ども自然体験キャンプは、21日から25日まで阿蘇青少年交流の家をベースに行います。
明日の夕方は、スタッフの最終打合せです。
参加者は子ども121名、スタッフ25名、合計146名。大型バス3台です。

2010年08月27日

娘がフランスに旅立ちました。8.27

25日まで4泊5日のキャンプを手伝ってくれた娘の星香が、1年間のフランス留学に旅立ちました。
フランスまでは、日本舞踊の師である雅原麻結先生が同行。
ソウル、アムステルダム経由でフランスのリヨンまで、行く予定だったようですが、飛行機のキャンセルがあり、トルコ経由となり40時間も掛かったとのこと。
格安チケットも問題ありですね。

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大学で留学の試験を受けて合格したおかげで、日本の大学の授業料が、そのままフランスの大学の授業となり、さらに毎月8万円もの生活費が支給されるとのこと。
21歳で海外留学。うらやましいですね。
来年の統一地方選挙のときには不在です。
ウグイス嬢にと思っていたのですが・・・。

私の初めての海外旅行は手作りヨットによる単独太平洋横断、147日間。
初めて乗った飛行機は、サンフランシスコ空港から羽田空港乗った日本航空の飛行機。
10時間の旅でした。時代は変わりましたね。

2010年08月29日

クスノキが立派に育っています。8.28

3月8日、精華学園高等学校前に植栽されたクスノキが、何とか暑い夏を乗り越えました。

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江藤校長先生と片山教頭先生が、毎日、水をまいて気を遣ってくださったおかげです。
宇部興産の旧本社前に植えられていたクスノキですが、湾岸道路の建設にともない、精華学園前に移植されました。
少し弱っていたクスノキですが、おかげで立派に根付いたようです。
3月8日は、博士号を戴いた日であり、私にとっては記念植樹です。

2010年12月02日

宇部市熟年レクリエーション交流会12.1

顧問をさせて頂いている「宇部市熟年レクリエーション協会交流会」が福祉会館で開催され、160名のご年配のご婦人が参加して下さいました。
マジックやダンス、日本舞踊など出し物が37個もあり、賑わいました。
しかし、婦人(女性)パワーには毎回、圧倒されます。
私は「長崎の鐘」をカラオケで歌わせて頂きました。
私の挨拶の抜粋
『先日、知り合いの若い女の子と知れ違ったとき、名前を思い出せなかったので「お嬢さん」と声を掛けたら、周りにいたお年寄りの女性グループなど、近くにいた女性全員が振り返りました。男は「お坊ちゃん」と呼ばれても振り返りませんよ。女性は図々しいですよね。女性はいつまでも、お嬢さんなんですね。見習わなければいけません。」

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2010年12月04日

お知らせ「初詣のお誘い:妻崎恵美須神社」12.5

初詣にはぜひ、妻崎恵美須神社にお参りください。
平成9年以来、縁あってお世話をさせて頂いています。
1月1日~2日は「ぜんざい」の接待をさせて頂きます。
(2日は午後3時まで)
場所は厚南区竹の子島(厚東川河口の西側、妻崎漁港の高台)です。
お札、お守り、おみくじも用意させて頂いています。

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春祭りの写真です。
来年は4月17日(日)午前11時から神事を行い、直会(なおらい)は、そばの空き地で行います。
毎年、約80名のご参加を頂いています。
会費は2000円。
桜はすでに葉桜ですが、「菜の花」が満開できれいです。
ぜひ、ご参加ください。

2010年12月06日

クスノキが立派に根付きました。精華学園高等学校12.6

昨年、7月1日に精華学園高等学校を開校して、1年と5か月が過ぎました。
現在、全国25都道府県の48か所に学習センターを設置し、366名の生徒が在籍しています。
広域通信制の高等学校は最初の卒業生を輩出するまで、国の助成が受けられない制度になっているため、経営的には厳しいですが、多くの皆さんのご期待とご理解を頂き、教職員が一体となって頑張っています。
高校卒業の資格がなければ、理容師や美容師、調理師になれないなど、不登校や高校中退のままでは、厳しい状況にある子どもたちが増えています。
少しでもお役に立てればと願っています。

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精華学園高等学校の入口に植えられたクスノキと学校全景IMG_0567.jpg
しっかりと根付いたクスノキは葉を茂らせています。

この大きなクスノキは旧・宇部興産本社ビルの玄関に植えてあったものです。
今年3月、縁あって学校の玄関先に移植して頂くことができました。
移植されたときは、かなり弱っていましたが、教員の皆さんが毎日、水を与えて下さったおかげで回復し、しっかり根付きました。
もう、大丈夫そうです。
移植された3月8日は偶然、私が山口大学大学院で工学博士を授与された日ですから、「学位取得記念植樹」でもあります。
あと5年くらいすると、葉も立派に茂り、いい木陰ができそうです。
大切に育てたいと思っています。

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