メイン

ちょっと素敵な体験談 アーカイブ

2007年09月23日

「あさりの味噌汁」

私は25年間、学習塾や自然体験活動を通して、子どもたちの教育に携わってきました。子どもが中学生や高校生になると、親子関係で悩み、深刻な顔をして、相談に来られる保護者の方がいます。最近特に、不登校やいじめの問題、子どもの交友関係で悩んでいる保護者が増えています。
お母さんとの関係がうまくいかなくて悩んでいる中学2年生の女の子の詩に、こんなのがあります。
「明日の朝ごはんは、アサリの味噌汁。母が今朝から泥を吐かせている。きたないものを吐き出すアサリをみると、今の自分を情けなく思う。ねえ母さん、私も一晩水につけると、きれいな心になれるかな」
中学2年生の女の子が、試験勉強をしていたそうです。皆さんも経験がおありかもしれませんが、お母さんが夜食を持ってやってくる。普段、調子のいいときは「お母さん、ありがとう」と笑顔で言えるのですが、その日に限って「そんなものはいらない」って、つい言ってしまったそうです。それでもお母さんが「後から食べたら」と言って、お盆を置こうとすると、「目障りだから下げて」と思いもかけないことを言ってしまう。
寂しそうにお盆を下げていくお母さんの後姿を見ながら「かわいげのない娘だ」と思うのだけれど「ごめんなさい」と言う勇気がない。
翌朝、台所に行くと、お母さんが朝ごはん代わりに、自分が食べるはずだった夜食を食べていたそうです。「申し訳ないなあ」と思ってもやはり「ごめんなさい」という勇気がない。
台所の片隅にいくと、バケツが置いてあって、中にアサリが入れてあって、砂出しをしていたそうです。汚いものを吐き出すアサリを見て、「私も一晩くらい水につければ、きれいな心になれるかな」と思ったようです。
素直になりたくても、なかなか素直になれない。それが中学高校生くらいの世代だと思います。ちょっとお互いが素直になれれば、親子関係もうまく行くのにと思います。
核家族化、情報化社会の中で、人間関係が希薄になり、親子や家族、集団の中でのコミュニケーションがうまくできず、苦しんでいる子どもたちが増えています。

「40キロを歩きぬいた健ちゃん」

私は二十五年間、子どもたちの体験教育活動に携わってきました。
毎年十一月に実施している四十キロナイトハイクは、夜の十時に出発する深夜の耐久徒歩です。参加者は小学生からですが、十九回実施して、延べ二千六百五十名が挑戦し、未だ一人の落伍者もいません。 
幼稚園の年長さん、六歳児も保護者と一緒に、五十名以上参加していますが、二十キロの中間地点までは、全員歩いています。
子どもたちの体力や忍耐力の低下が、新聞などで問題になっていますが「今の子どもたちも決して劣ってはいない」というのが、私の正直な感想です。
そのナイトハイクでの出来事を紹介します。十年前、「建ちゃん」という小学四年生の男の子が参加しました。その子は、勉強も運動も大の苦手、行動もチョット幼稚で、夏のキャンプに来たときは、テントのそばで三十センチもある大きなミミズを見つけて、一日中眺めていました。
「四十キロはとても歩けないとは思いますが、本人が参加したい」と言っていますのでと、不安そうなお母さんのそばで、建ちゃんは、やる気満々という顔をしていました。
心配していたご両親は、五キロごとにある休憩地点に先回りして、励ましていました。二十キロの中間地点まで歩き切ったとき、ご両親は大喜びで、あとは出来る範囲でいいと、満足された様子で、自宅に帰られました。
三十キロ地点までは集団行動ですが、これから先は毎年、徒競争です。
建ちゃんが突然、私の側に来て「先生、僕走る」と言って、ジャンパーを私に預けました。ホイッスルの合図で二百名中、七十名の子どもたちが走り始めました。最後の十キロを一時間で走る小学生もいます。
当然、建ちゃんは上級生からすぐに抜き去られてしまいましたが、休まずに走っている姿に感動して、深夜にもかかわらず、建ちゃんの家に電話をしました。お父さんに「建ちゃん、走っていますよ」と言うと「信じられません。すぐ行きます」と答えられました。
三十五キロ地点を過ぎたところで、奥さんと一緒に、自動車で来られて、建ちゃんのすぐ後ろをゆっくりと、伴走し始めました。「建ちゃん、凄いですね」と声をかけると、振り向いたお父さんの目は涙で濡れていました。ゴールまであと二キロの地点まで来たとき、ついにお父さんは自動車から降りて、一緒に走り始めました。
ゴール地点で待っていると、お父さんと建ちゃんが手をつないで走っている姿が見えてきました。ゴールしたとき、お父さんの目には涙があふれていました。そして、ゴールで待っていたお母さんの目にも、涙があふれ、感動的なゴールでした。しかし、建ちゃんには、なぜ、ご両親が泣いているのか、理解できないという顔をしていたのが印象的でした。
子育ての素晴らしさとは、日々の小さな感動と喜びの中にあることを学ばせて頂いた出来事でした。
「子どもたちは場面があれば、頑張れる」というのが、私の実感です。
勉強以外の場面で、認められる場面作りが教育現場では必要だと思います。

「お母さんより先に死なせてください」

私が所属している文部科学省所管の社会教育団体である財団法人「SYD修養団」では、毎年、夏休みに、沖縄の渡嘉敷島で、障害児を含めたサマーキャンプを実施しています。
5人の健常児が1人の障害のある子どもと交流するキャンプですが、そこへ17歳の洋子ちゃんという、両手両足の動かない女の子が、お母さんが押す、車椅子で参加しました。
沖縄は、星空がきれいなので、七夕祭りを行うことになり、皆で「願い事」を書いた短冊を笹に吊るすことになりました。
車椅子にすわっていた洋子ちゃんにも「何か書いて」と、お願いすると「別にないな」という返事でした。
「そんなこと言わないで何か書いてよ。皆、ドラえもんの竹コプターや、イルカに乗って沖縄にこれたらいいのにとか、できもしないことを書くのだから、洋子ちゃんも何か書いてよ」とお願いしましたが「ない」という返事でした。そばにいたお母さんが「洋子も何かあるでしょうが」ときつく言うと「ないものはない」と怒ってしまいました。
しばらく、そのままにしておいたのですが、夕方になって、子どもたちが短冊を吊るすようになったので「洋子ちゃんも、何か書いたら」と言うと「じゃあ、1つだけ書いてくれる?」といって、書いた言葉が「もし、神様がいらっしゃるならお母さんより1日だけ早く死なせて下さい」という言葉でした。
17歳で両手両足の動かない女の子が、何を思ったか、というとお母さんが先に死んだら、誰がおしめを替えてくれるのか。誰がおふろに入れてくれるか。そんなことが気掛かりだったのだと思います。
 炊事のお世話をされていたお母さんが「洋子が何か書いたようですね」と聞かれたので「短冊が掛けてありますよ」と答えました。見に行かれ、じっと、短冊を見つめたあと、お母さんが「わたしも一言、書いていいですか」と言われ、書かれた言葉が「もし、神様がいらっしゃるなら、贅沢かもしれませんが、娘より一日だけ長生きさせて下さい」という言葉でした。
 キャンプが終わり、帰り際に、洋子ちゃんが「私は神様に選ばれたのよね。私だったら、神様は耐えられると思って、こんな試練をくれたのよね。私って、選ばれたのよね」といって笑顔で帰っていきました。
どうしようもない縁を生かしきる。そして、今を喜ぶという姿に感動しました。
障害のある子どもと親が、安心して暮らせる福祉の充実した社会作り。
そして、高齢化社会を迎える中で老人介護が、大きな社会問題となっています。「親子の縁」「家族の絆」の素晴らしさを、県の事業として、啓蒙していくことの大切さを強く感じます。

「母ちゃんに心配かけられんから」

私の長男は、来年成人式を迎えますが、成人式のたびに、ある男の子のことを思い出します。
十五年くらい前、小野田市内の中学校が非行問題で荒れた時期がありました。先生は生徒から殴られ、ガラスも百五十枚割れました。当時の総番長は、通称「花ちゃん」と呼ばれていた生徒で、身長百八十センチ、髪の毛を金髪に染め、背中に龍の絵の入った学ランを着ていました。
花ちゃんは私の塾生で、小学五年から預かった子供でした。いい子だったのですが、中学校に入ったとたん、非行グループと付き合うになり、二年生になってからは、学校で堂々とタバコを吸い、非行問題を繰り返していました。「何とかしよう」と思い、一生懸命取り組んだのですが、三年生の初め、ついに塾を止めてしまいました。
その彼が、中学校を卒業して、五年ぶり突然、塾にやってきました。
七月十五日でした。「こんにちは」という声を聞いて、玄関に出てみると、白いポロシャツを着た青年が立っていました。初め、誰かわからなかったのですが、ニヤッと笑った瞬間「花ちゃん」だと気づきました。
「どうした」と問いかけると、恥ずかしそうに背中から、箱を取り出して「先生、お中元を持ってきました」と笑顔を見せました。こういうのを「お礼参り」と言うんですね。コーヒーの詰め合わせが入っていました。
帰るときは、玄関の外まで見送りました。彼が五、六歩、歩いた背中に向かって「真面目になったなあ」と声を掛けると振り向いて「先生、俺いつまでも、母ちゃんには心配かけられんから」と笑顔を見せました。
年が明けた一月十五日、今度は突然、お母さんが「息子が成人式を迎えました。うれしくて、報告に来ました」と塾に来られました。「中学校を卒業して、三年くらいは、遊んでばかりいたのですが、その後、建設会社に勤め、何と、去年は一日も休まずに働いて、年末にはお父さんのために、大きなワイドビジョンのカラーテレビを買ってくれたんですよ」とうれしそうな顔をされました。話題が中学時代の話になると、お母さんの目は輝いていました。
「先生、息子は本当に悪かったですよね」と悪かったことをまるで自慢しているような話振りでしたが、花ちゃんが中学生の頃のお母さんは、花ちゃんに投げられ、あばら骨を三本折って、一ヶ月も入院したことがあり、憔悴しきっていました。 
そのお母さんが、当時のことを懐かしそうに話される姿を見て、子育ては、苦労はあるけれど、だからこそ喜びも大きいのだという思いを強くしました。
以来、非行少年と接するたびに「将来、親を感動させよう」と頑張っているんだなあと、思うようにしています。
青少年に関わる事件が多発していますが、「親子の絆」の大切さ必要性を強く感じます。

「お母さんは偉い」

皆さんに聞いて頂きたいテープがあります。(テープを流す)
「お母さん」と聞こえませんか。鳥やイルカの鳴き声ではありません。秋芳洞に住んでいる、コウモリの赤ちゃんの鳴き声です。コウモリの赤ちゃんは「お母さん」と鳴くんです。本来は超音波ですから「ピッピッピッ」と甲高い鳴き声ですが、テープの回転数を落とすと「お母さん」と聞こえます。
コウモリは哺乳類です。お腹を痛めて、赤ちゃんを産むんです。天井に何千匹も、一緒に群がっているんですが、お母さんには何千匹いても、自分の赤ちゃんがわかるんだそうです。餌をとるために、洞窟から出て、再び戻ってくるとき、真っ直ぐ自分の赤ちゃんのところへ飛んでいきます。そのとき、お母さんを呼んでいる赤ちゃんの鳴き声が、この「お母さん」です。
私は毎年、大分県の九重高原で小学生を対象とした4泊5日のキャンプを行っています。2日目はいつも、炎天下、20キロのハイキング、そして夜は野宿です。
もっとも辛くて「家に帰りたい。お母さんに会いたい」と思っているとき、夜の行事で、このテープを聞かせてみました。何と、子どもたちは大泣きでした。「お母さん」という響きがいいんです。
私の長男が幼稚園のとき、運動会で園児50人が、頭から米袋を被って、校庭を走り回り、お父さんが自分の子どもを捜すというゲームがありました。まるで私の子どもに対する愛情を試されているような気がしました。結局、5人の袋をはぐって、全部ハズレでした。
観客席に戻ったときの、妻の目線の冷たいこと。「お父さんはなぜ、わからないんですか。私は初めからわかっていた」と言われてしまいました。10月10日、自分のお腹の中で育て、命がけで生んだ人はすごいと思いました。
子どもに対する愛情の深さは、父親は残念ながら、母親には勝てません。

「ご両親からの手紙」

夏休み後半には、4泊5日の「子ども自然体験キャンプ」を大分県九重高原で実施し、忙しい夏でしたが、充実した日々を過ごすことができました。
キャンプでは、毎回「親が子に生き方を教える」をテーマに「ご両親からのお手紙」という研修を行っています。キャンプが始まって3日目、子どもたちが「家に帰りたい」とか「お母さんに会いたい」と思い始める頃に、思いもかけない「ご両親からのお手紙」が子どもたちに届けられます。
手紙には「生まれたときの様子」や「そのときのご両親やご家族の喜び」「名前の由来、期待や願い」が書かれています。3日目の夜、私の講話が終わったあと「今9時、お父様お母様は、テレビも見ないで、君たちのことを心配しているかもしれない。今日は思いもかけず、お父様、お母様から、お手紙が来ている。今から名前を呼ぶから、出て来い」出掛けに、お母さんと喧嘩をして「ぼくには来ていない」と思っている子どもは、名前を呼ばれただけで、大泣きです。 
全員に行き渡ると、懐中電灯で、手紙を照らさせます。封筒には「何々様」と書いてあります。「お父様お母様がどのような思いで『様』と書いたかわかるか。今から10分間、何度でも読み直せ」と言って、懐中電灯の明かりで、子どもたちは手紙を読み始めます。
バックからは「シルクロード」の曲が流れてきます。いろいろ試しましたが、雰囲気にぴったり合っています。
10分間、全員大泣きです。最初に泣き始めるのは、いつも中学生、そして小学生高学年、最後に小学1年生が、周りを見ながら「あれ、僕も泣かなきゃ」という感じで、泣き始めます。1年生は字を読むだけで精一杯、感動とまでには行かないようです。
子どもたちは涙の中で「自分にとって親とは、何なのか」「どのような生き方をしなければいけないのか」ということを学びます。
最近の子どもたちは「無感動」と言いますが、決してそのようなことはありません。
子どもたちの感想文には「この手紙は、一生の宝物です。これからは、お父さんお母さんを大切にします」と書いています。感動は一週間でさめてしまいますが、私は人生の折り目、節目だと思っています。
 手紙の素晴らしさは「10分間手紙を書けば、10分間相手のことを思っている」ということです。
「思いやり」という言葉がありますが「思いを送る」という意味では、手紙ほど素晴らしいものはありません。
「僕はこんなにも愛されている」「僕を認めてくれる人がいる」ということが伝われば、いじめにくじけない、自殺なんかしない、強い心を持った子どもが育つに違いありません。
青少年や親子、家族に関わる事件が多発しています。親子の絆、家族の絆が問われている時代だと思います。

「花それぞれ 人それぞれ それぞれに咲く」

私は長年、学習塾の塾長として、多くの受験生を見てきました。「花それぞれ、人それぞれ、それぞれに咲く」と言う言葉がありますが、受験に失敗したばかりの子どもたちに、伝える言葉はなかなか見つかりません。
以前、受験に失敗した女の子のご両親が、5月の中旬、突然、自宅来られました。
お父様が「受験に失敗した私の娘のことを、どう思っておられるかわかりませんが、私は娘が受験に失敗したことを、たいへん喜んでいます。」と言われ、一瞬「えっ」と思いました。
「私の娘は、今まで人から後ろ指を指されたことは、一度もありません。勉強も体育も美術も一生懸命、頑張ってきました。高校受験に当たっても、担任の先生から「お前なら大丈夫!」と言われ、自信を持って受験しましたが、残念ながら、不合格でした。
発表から3日間、ほとんど部屋から出てこないで、泣いてばかりいました。しかし、泣いて、苦しんで。今回のお陰で、娘はきっと、悲しみのわかる人間になれたのだと思います。」と言われたときには、涙が出てきました。
 それから、二日後、お父さんから、電話が掛ってきました。電話口で泣いておられましたので「どうされましたか」と尋ねると「私は、今日くらい、こんな素晴らしい娘を持ったことを、幸せに思ったことはありません。偶然、娘の部屋に入ったら、壁に大きな紙が貼ってあって、墨で「高校に入ったら、頑張るぞ!」って書いてありました。それを見た瞬間から、涙が止まらなくて、うれしくて、電話させて頂きましたと、言われました。
受験に失敗した塾生や保護者の皆さまから多くのことを学びました。

「初任給だけはご両親のために」

新入社員研修に、講師として招かれると必ず「最初の給料だけは、長年育てて下さった、ご両親のために使って下さい」と話をします。
すると、新入社員の女性が「ご両親に、夕食をご馳走しよう」とフランス料理の高級レストランを予約しました。   
ところが当日、仕事の都合で、少し遅れて、レストランに着くと、お父さんは、顔を見るなり「人を食事に誘っておいて、待たせるとは何事だ」と娘を叱り、その上、食事が始まると「お前なあ、20年間育ててもらった恩を、1回の食事で済ませようと思うなよ」とか、料理を出されるたびに「なぜこんなものを注文したんだ」などと、嫌味を言ったそうです。
そんな時ふと、お父さんの手を見ると、しわだらけの手に、セメントのクズがこびり付いていました。お父さんは、建設会社の現場監督です。
「この手で私を20年間育ててくれたんだなあ」と思ったら、何も言えなくて、今日1日だけは、何を言われても我慢しようと決めました。それでも、お父さんは嫌味を言い続けました。
家に帰って、お風呂に入りながら「お父さんなんか、2度と、食事に誘わない!」と思いました。風呂から上がって、茶の間の前を通りかかると、中から、お母さんとお父さんの会話が聞こえてきました。お母さんが、お父さんに「今日の夕食、おいしかったね」と尋ねると、お父さんが「おれ、人生48四十八年、生きてきたけど、今日くらいうまい晩御飯、食べたことなかったなあ」と答えたとたん、その新入社員の女性は、涙が止まらなくて、フトンに入り、思いっきり泣いたそうです。
県庁の新入職員にも「最初の給料くらいは、ぜひ、ご両親のために!」と指導されて如何でしょうか。

「入試に失敗した生徒からの手紙」

私はかつて学習塾の講師をしていましたが、毎年、3月のこの時期になると、高校入試のことで、胃が痛い毎日でした。必ず、受験に失敗する生徒がいます。皆さまの中にも、辛い思いをされた方も、おられるかもしれません。授業料の安い県立高校へ進学させたい、との期待を持っている親も多く、子どもたちにとっては、そのことが、大きなプレシャーとなっています。以前、受験に失敗した女の子から頂いた手紙を紹介します。私が手紙を出して一週間後に届いた返事です。
『先日はお手紙どうもありがとうございました。受験結果のことを、電話で報告しなければいけないのに、しなくて申しわけありませんでした。やっぱり駄目でした。自分でも駄目だと、半分わかっていても、心のすみで「もしかしたら」という気持ちがありました。その気持ちが半分あったため、ショックが大きいように思えます。
先生からお守りを頂き、数学や理科など、毎日のように忙しい中、教えてもらったのに、このような結果で、本当に申し訳ありません。私は今まで世の中を、本当に甘く見ていたのだと思います。今回の結果は悪いほうにでましたが、私は良い経験をしたと思います。もし、ギリギリ受かっていたら、私はまた同じことを繰り返し、努力することを知らない人間になっていたと思います。だから今、私はちょっと悲しいけれど、落ちて良かったと思っています。これからも、悲しいことがいっぱいあると思います。そのときは先生のところに行きますので、相談に乗って下さい。それではお体に気をつけて。さようなら。』
合格発表から、たった1週間で、こんな手紙を書けるのかなあと、心から感動しました。それから3年後、彼女が突然、塾に来ました。あらたまった顔をして「私、短大の保育科に合格しました」と言ったとたん、彼女は泣き出してしまいました。そして「私、今日が来るのを3年間待っていました。高校入試のとき、合格したら、真っ先に報告に来ようと思っていたけど、不合格で、来れなかったから、大学入試だけはと思い、頑張りました」と言ったとき、側にいた家内は泣いていました。その後、短大に行って、彼女の受験番号の前で、記念写真を撮りました。大学から我が家まで、約5キロの道のりをどんな思いで、自転車を漕ぎながら来たのかと思うと、涙が出てきます。
塾の講師として、陽のあたらない役割を演じた子どもたちから、たくさんのことを学ばせて頂きました。

About ちょっと素敵な体験談

ブログ「岡村精二 日々の活動」のカテゴリ「ちょっと素敵な体験談」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリはその他です。

次のカテゴリはツバメ物語です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34