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2009年10月 アーカイブ

2009年10月17日

「努力は裏切らない!」日本ソフトボールリーグ観戦10.17

10月17日、北京五輪金メダリスト「上野由岐子投手」に会える第42回日本女子ソフトボールリーグ観戦バスハイク」を実施し、天候にも恵まれ、45名のご参加を頂きました。
「世界最速といわれる最高時速119kmを記録したストレートを投げる上野さんの試合が下関球場で行われる」との情報を聞き、「ぜひ後援会の皆さんをお誘いしよう」と「ルネサステクノロジ高崎事業所(上野選手所属)対伊予銀行」のチケットを取り寄せました。
試合で、上野さんの速球を見たかったのですが、残念ながら、ピッチャーではなく、DHでの出場。
しかし、観客席の最前列で、ウォーミングアップを間近で見ましたが、身体が大きく、ボールがキャッチャーミットにドスンと吸い込まれる音は、さすがですね。
試合後は、 ルネサステクノロジ高崎事業所 女子ソフトボール部の宇津木妙子総監督、宇津木麗華監督、上野由岐子選手と記念写真を撮らせて頂きました。
帰路は、精華学園高等学校に見学を兼ねて立寄り、教室で昼食を頂きました。
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バッターボックスの上野選手です。
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試合終了後の記念写真(中央が上野由岐子さん、左端が宇津木麗華監督、中程に宇津木妙子総監督)。皆さん、大感激でした。
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北京オリンピックで、日本チームの監督を勤められた宇津木妙子さんから頂いたサインボール。
「努力は裏切らない」。大切にしたいと思います。
気さくで控えめな、素晴らしい監督さんでした。

妻は「どうしても上野投手が投げる姿が見たい」と、18日も下関球場での豊田自動織機との試合を見に出かけました。
試合途中に電話があり、「上野投手が先発で投げてる」と感激した様子でした。

2009年10月18日

宇部市レクリエーション講習会・集いの演出10.18

第42回宇部市レクリエーション講習会の「集いの演出」が、見初ふれあいセンターで開催され、私は宇部市レクリエーション協会の会長としてご招待を受けました。
今年の演出は、「凄い」「感動」の一言でした。
演出のテーマは「昭和」。
何より凄いのは「葉書」です。
頂いた葉書は、何と20円葉書。
しかも追加料金として貼ってある10円切手は、阪神高速道路開通記念切手です。

文面は裏表とも、すべて手書き、思いの深さを強く感じました。
見習わなければいけませんね。
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今年の受講生は24名。
受講生はもちろんですが、招待された方々も皆、服装も、昭和がテーマ。
中には娘さんのセーラー服を着て参加された女性スタッフや割烹着姿、モンペ姿、和服姿もあり、楽しい一時を過ごさせて頂きました。
私は第15回の受講生、当時30歳でした。ちなみに妻は第13回の受講生です。
挨拶で「光らせている人が光っている人」という話をさせて頂きました。
私が講習会で学んだ大切なことは
「演出や企画では、どうしても舞台で歌う人、踊る人、話す人が光っているように見えます。
特に、観客席からは舞台しか見えません。
しかし、高いところから見れば、舞台裏で、主役を光らせている人が、本当は光輝いて見えるかもしれません。
天からみれば、大切なものが見える。高いところから、見ることが大切です。
私はキャンプでは、いつも舞台裏の仕事をさせて頂いていますが、実は性格的には、これが一番似合っています。

2009年10月21日

関白宣言に涙した父 10.20

父は大正6年生まれの92歳ですが、天気がいい日はバイクで魚釣りです。
75歳まで、現役の大工の棟梁でした。
母は大正14年生まれの84歳。結婚63年です。

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父が釣ってきたハゼ。全部で42匹。我が家では食べきれず、いつも近所に配っています。

9月議会「一般質問」の前段で話した関白宣言の話。ぜひ、読んでみて下さい。

「敬老会」でお年寄りの皆さんとお話をしているうちに、十数年の、我が家の出来事を思い出しました。当時、82歳だった父が、突然私に「もし、俺が死んだから、毎月、墓参りに来てくれるか」と聞いたので、私は「毎月は無理。年4回。盆と正月、それからお彼岸だな」と答えました。
我が家のお墓は、当時、防府にあったので、とても毎月行ける距離ではないと思いました。すると今度は「もし先に、ばあちゃんが死んだら、俺は毎日墓参りに行きたいが、どう思うか」と問いかけられ、「毎日」と聞いて、返事に困ってしまいました。
そのとき既に父は、私に内緒で近くの墓地を購入し、しかも、私名義でお墓の注文までしていました。返す言葉が見つからず、仕方なく、お墓を移動することに同意しました。
ところがいよいよ、お墓を移動するときになって、今度は「お寺を替わる」と言い出し、私と喧嘩になってしまいました。
父とは、かつて太平洋横断をして以来、ほとんど喧嘩をしたことが無かったのですが、そのときは私が怒りました。
「先祖代々、我が家のお墓を守って頂いているお寺があるのに、替わる必要はない。親父が死んでも、1時間もあれば、住職さんは防府から宇部まで来てくれる」と私が言うと、父は「これから、お前が防府に住むことは、ありえない」と答え、勝手にお寺を探し始めてしました。
 気まずいまま、年が明けた1月15日、テレビ番組で「さだまさし」さんがコンサートをしているのを、父と二人で、居間で見ていると、父が「関白宣言」を聞きながら泣いていました。
「お前を嫁にもらう前に」という歌詞で始まる有名な歌ですが、この歌を聞いて泣く人は珍しいと思います。
3番にこんな歌詞があります。
「子どもが育って、年をとったら、俺より先に死んではいけない。例えばわずか1日でもいい。俺より早く逝ってはいけない」
この部分を聞いて、父は泣いていました。
父はいつも、口癖のように母に「俺より先に死ぬな」と言っています。
母は近所の友だちと会話をしていると「私はじいちゃんを残して、先に死なれん」とよく言っています。
父は「死ぬな」、母は「死なれん」、
いい夫婦だなあと心から思います。
その1年後、父の要望を受け入れ、宇部市内のお寺に替わらせて頂きました。
父は大正6年生まれで今年92歳、母は大正14年生まれで84歳。父は75歳まで大工の棟梁だったこともあってか、とても元気で、今もバイクに乗っています。母は物忘れがひどくなり、身体の動きも鈍くなり、最近は、父が朝夕の食事の世話をするようになりました。
いつまでも、元気でいてほしいと思わせて頂いた敬老の日でした。

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