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2007年09月 アーカイブ

2007年09月15日

畑原議員の総務企画委員長主任祝賀会

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畑原基成県議の総務企画委員会・委員長就任祝賀会に行ってきました。
岩国市の知名士全員が集まったような会でした。
岩国市は基地問題を抱えてたいへんな時期だけに、畑原委員長の期待の大きさを感じました。
9月議会でも大きな課題となりそうです。
(写真は柳居俊学議員、河村敏夫議員、先城憲尚議員らと畑原議員を囲んで)

2007年09月20日

『子どもをダメにしない住まい方』 建築家 岡村精二

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日本時事評論からの【インタビュー】(山口敏昭 記者)
今に通じる『子供をダメにしない住まい方』を指南

今から十四年前、建築家の立場から、個室文化の導入が家族の絆を崩壊させると警鐘を鳴らした本が『子供をダメにしない住まい方』。
その著者の岡村精二・森と海の学校理事長に、当時を振り返りながら、親子、家族の関係づくりについて語ってもらった。

『非行少年と間取りに相関』
家の間取りと子供の非行の問題に関心を持たれた経緯を教えて下さい。

私は建築設計事務所の仕事とは別に、昭和五十九年から野外活動(ヨットやキャンプ、登山、耐久徒歩など)を中心とする体験教育をする学習塾を始めました。
レクリエーション指導員や青少年育成アドバイザー、警察署の少年指導員などもしていた関係で、非行や不登校、家庭内暴力といった相談があちこちから来るようになりました。
そうした子供をすぐに塾で受け入れるわけにもいかず、子供たちの家に出入りしているうちに、これはおかしいなと思ったのが家の間取りでした。
私が建築の世界だけをしていたら、家の間取りは合理性や機能性、見た目の外観だけで考えていたと思います。
ところが、非行少年などを見て、家に行けば、そこに間取りで共通した特徴があることに気付いたのです。
時代は高度成長期のまっただ中で、団塊の世代と言われる人達が三十歳後半にさしかかり、ちょうど家を建て始める頃でした。
その間取りというのがすべてワンパターンなわけです。玄関から二階に上がる階段がついて、玄関付近にトイレ、洗面所、浴室を集合させ、一階は六畳か八畳の和室に居間で、二階には夫婦の寝室と子供部屋が二つにトイレ、というのが日本の平均的家庭の間取りだったのです。
つまり、子供が意識的に食堂や居間に降りて来なければ、親と顔を合わせなくてもすむような間取りなのです。

『家庭内暴力の家に行くと』
親子の自然な関わりができにくい間取りになっているということですね。

私が最初に気づいたのが、広島の家庭内暴力の子でした。家に行くと、玄関に入ってすぐ左に彼の部屋がありました。本人は夜になると外に出て遊び回り、夜明け前に帰宅して、昼間は家で寝ているのです。親は、夜に遊び回っているとはつゆ知らず、不登校のため家で寝てるとばかり思っていて、本人の告白を聞いて初めて知るという状況でした。
玄関の傍が自分の部屋なので、夜こっそり外に出てもわからないのです。そこで家の間取りと非行について、宇部市にある『ウベニチ新聞』(現『宇部日報』)の「冬至夏至」欄に書きましたところ、電話がひっきりなしにかかってくるほどの反響があり、一気にまとめたのが『子どもをダメにしない住まい方』でした。
居間、もしくは台所、食堂に家族の動線を集中させる間取りの家を提唱しました。

『親子が交流できる間取りに』
本を出されてからの反響はいかがでしたか。

最初にこの本を出して大手住宅メーカーに送ったんですが、始めは拒絶反応でした。
でも、後に似たような本が出始め、毎日新聞の全国版の全面特集記事になったり、スポーツ紙で取り上げられたりと、延べにして新聞に十数回は出たでしょうか。
テレビも「ズームイン朝」と「おはよう日本」に出ました。そのうち、ミサワホームが「センターリビングの家…家の真ん中に居間を作る」というキャッチフレーズで売り出し、突然、ミサワホームから礼状がきました。
特に子供向けの雑誌社からは、いまだに内容の問い合わせの電話があります。本も通算で三万部以上出たと思います。
その影響なのか、改善とまではいかなくても、居間に階段がある家がかなり増えてきましたね。
居間から直接二階に上がるようにすれば、子供達は必ず居間を通りますから、親子の接触ができるわけです。
そんなことで、一時期は、住宅メーカーにも呼ばれて、これから家を建てる人の為の住まいづくりというテーマで講演もしました。

最近も非行少年とか、家庭内暴力などいろいろ問題がありますね。
思春期の時に親子の接点がないというのは大きな問題です。ましてや、今は携帯電話を持つ時代ですから、ますます親子の絆が歪んでいきます。
だからこそ、家の間取りぐらいは、仕方なくでも良いので、親の顔を見て学校に行く、家に帰った時も親の顔を見て部屋に入る、そういう仕組みが大事だと思います。

『住まい方の工夫次第で』
既に住んでいて、間取りが変えられない場合の工夫がありますか。

まず、玄関はお客様と大人の出入り口として、子供たちは勝手口から出入りさせることです。
それにより、子供たちは親の前を通ります。
子供部屋に親のタンスを一つ入れ、もちろんドアには鍵をつけないし透明ガラスを入れます。
子供たちは最初は嫌がりますが、「あくまでも家はお父さんとお母さんの持ち物で、子供に貸しているのだ」と言えば納得します。
できれば、お父さんの書斎を作るといいですね。それともう一つ大事なのは、子供が神妙になれる部屋を作ることです。
ある意味では、子供を叱る場所です。わが家には仏壇があり、子供を叱る時は仏壇の前と決めていました。
「お父さんは立派でないかもしれないが、少なくともご先祖様に申し訳ないから、ご先祖様に謝りなさい」という型です。
今の親は、テレビを見ながらとか何かしながら叱るようですが、それでは気持ちが伝わりません。


『花のほほえみ 根のいのり』
今の親の子育てについて、どのような感想をお持ちですか。

特に母親が子供に対する自信を失っているのが気になります。
痛切に感じるのは三者面談です。塾を始めた頃は「帰ってお父さんを含めて三人で話し合いをします」と、その場で決断をするお母さんはいませんでした。
それが最近では「すべてを子供に任してありますから、すべてを子供の好きにしてやってください」です。
物分りの良いお母さんのようですが、言っても無駄と感じているのです。
小学校を過ぎて中学校に入った段階で、もう子供が手に負えないということです。
父親の権限もなくなって、親を尊敬するといった世界がありません。
私は最近、「花のほほえみ、根のいのり」という言葉を子供たちに話します。
根っこがしっかりしているから花が咲いているんだよ、つまりご先祖様のお陰で今の自分があるという縦の教育が、あまりにもできてないと思うからです。
二十代さかのぼれば七百万人のご先祖様がいて、三十代さかのぼれは二億人のご先祖様がいるという命の連鎖をきちんと教えることが、ある意味では家の役割でもあると思うんです。
佛様を拝むだけでも違うと思います。核家族で家にお仏壇がなくても、いくら新居の若夫婦の家でも、お爺ちゃんお婆ちゃんの写真ぐらいは置いておいて、「ああ僕にはお爺ちゃんお婆ちゃんがいて…」という命の繋がりを家で教えることです。
できれば仏壇とかがあって、毎朝、手を合わせる習慣づけをする場所が欲しいですね。

『祖父母の役割は大きい』
昔の家は、お仏壇とか、魂があるものを中心に間取りを考えたものですね。

ある人が、古い家を解体している現場に差し掛かって、何かゴタゴタしているので見ていたら、解体業者が「俺はこの家だけは解体したくない」と言っているのです。
なぜなら、お仏壇の中にまだ位牌があり、壁には先祖の写真がズラーッと並んでいるんです。
結局は、お仏壇とか、写真を全部外して、解体工事をしたらしいのですが、解体する前に、そこの家の人は見に来ていないわけです。
遠くに住んでいて、家が崩れそうだから何とかしてくれとの電話一本で、代わりに解体してもらっているわけです。その程度のものです。
だから意外と、ご先祖様の写真とかがきちんと掲げてある家というのは、そんなにありませんね。
爺ちゃん婆ちゃんが死ぬ前にきちんとしておかないといけません。
わが家で好運なのは、うちの娘や息子が、自分を愛してくれた爺ちゃん婆ちゃんが死んでいく姿を見るチャンスがあるということです。
命の大切さを教えるには、爺ちゃん婆ちゃんの同居というのは大事なことです。何よりも順番の大事さがわかります。


2007年09月21日

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2007年09月22日

日々の活動ブログ

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日々の活動ブログ開始

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2007年09月23日

「あさりの味噌汁」

私は25年間、学習塾や自然体験活動を通して、子どもたちの教育に携わってきました。子どもが中学生や高校生になると、親子関係で悩み、深刻な顔をして、相談に来られる保護者の方がいます。最近特に、不登校やいじめの問題、子どもの交友関係で悩んでいる保護者が増えています。
お母さんとの関係がうまくいかなくて悩んでいる中学2年生の女の子の詩に、こんなのがあります。
「明日の朝ごはんは、アサリの味噌汁。母が今朝から泥を吐かせている。きたないものを吐き出すアサリをみると、今の自分を情けなく思う。ねえ母さん、私も一晩水につけると、きれいな心になれるかな」
中学2年生の女の子が、試験勉強をしていたそうです。皆さんも経験がおありかもしれませんが、お母さんが夜食を持ってやってくる。普段、調子のいいときは「お母さん、ありがとう」と笑顔で言えるのですが、その日に限って「そんなものはいらない」って、つい言ってしまったそうです。それでもお母さんが「後から食べたら」と言って、お盆を置こうとすると、「目障りだから下げて」と思いもかけないことを言ってしまう。
寂しそうにお盆を下げていくお母さんの後姿を見ながら「かわいげのない娘だ」と思うのだけれど「ごめんなさい」と言う勇気がない。
翌朝、台所に行くと、お母さんが朝ごはん代わりに、自分が食べるはずだった夜食を食べていたそうです。「申し訳ないなあ」と思ってもやはり「ごめんなさい」という勇気がない。
台所の片隅にいくと、バケツが置いてあって、中にアサリが入れてあって、砂出しをしていたそうです。汚いものを吐き出すアサリを見て、「私も一晩くらい水につければ、きれいな心になれるかな」と思ったようです。
素直になりたくても、なかなか素直になれない。それが中学高校生くらいの世代だと思います。ちょっとお互いが素直になれれば、親子関係もうまく行くのにと思います。
核家族化、情報化社会の中で、人間関係が希薄になり、親子や家族、集団の中でのコミュニケーションがうまくできず、苦しんでいる子どもたちが増えています。

「40キロを歩きぬいた健ちゃん」

私は二十五年間、子どもたちの体験教育活動に携わってきました。
毎年十一月に実施している四十キロナイトハイクは、夜の十時に出発する深夜の耐久徒歩です。参加者は小学生からですが、十九回実施して、延べ二千六百五十名が挑戦し、未だ一人の落伍者もいません。 
幼稚園の年長さん、六歳児も保護者と一緒に、五十名以上参加していますが、二十キロの中間地点までは、全員歩いています。
子どもたちの体力や忍耐力の低下が、新聞などで問題になっていますが「今の子どもたちも決して劣ってはいない」というのが、私の正直な感想です。
そのナイトハイクでの出来事を紹介します。十年前、「建ちゃん」という小学四年生の男の子が参加しました。その子は、勉強も運動も大の苦手、行動もチョット幼稚で、夏のキャンプに来たときは、テントのそばで三十センチもある大きなミミズを見つけて、一日中眺めていました。
「四十キロはとても歩けないとは思いますが、本人が参加したい」と言っていますのでと、不安そうなお母さんのそばで、建ちゃんは、やる気満々という顔をしていました。
心配していたご両親は、五キロごとにある休憩地点に先回りして、励ましていました。二十キロの中間地点まで歩き切ったとき、ご両親は大喜びで、あとは出来る範囲でいいと、満足された様子で、自宅に帰られました。
三十キロ地点までは集団行動ですが、これから先は毎年、徒競争です。
建ちゃんが突然、私の側に来て「先生、僕走る」と言って、ジャンパーを私に預けました。ホイッスルの合図で二百名中、七十名の子どもたちが走り始めました。最後の十キロを一時間で走る小学生もいます。
当然、建ちゃんは上級生からすぐに抜き去られてしまいましたが、休まずに走っている姿に感動して、深夜にもかかわらず、建ちゃんの家に電話をしました。お父さんに「建ちゃん、走っていますよ」と言うと「信じられません。すぐ行きます」と答えられました。
三十五キロ地点を過ぎたところで、奥さんと一緒に、自動車で来られて、建ちゃんのすぐ後ろをゆっくりと、伴走し始めました。「建ちゃん、凄いですね」と声をかけると、振り向いたお父さんの目は涙で濡れていました。ゴールまであと二キロの地点まで来たとき、ついにお父さんは自動車から降りて、一緒に走り始めました。
ゴール地点で待っていると、お父さんと建ちゃんが手をつないで走っている姿が見えてきました。ゴールしたとき、お父さんの目には涙があふれていました。そして、ゴールで待っていたお母さんの目にも、涙があふれ、感動的なゴールでした。しかし、建ちゃんには、なぜ、ご両親が泣いているのか、理解できないという顔をしていたのが印象的でした。
子育ての素晴らしさとは、日々の小さな感動と喜びの中にあることを学ばせて頂いた出来事でした。
「子どもたちは場面があれば、頑張れる」というのが、私の実感です。
勉強以外の場面で、認められる場面作りが教育現場では必要だと思います。

「お母さんより先に死なせてください」

私が所属している文部科学省所管の社会教育団体である財団法人「SYD修養団」では、毎年、夏休みに、沖縄の渡嘉敷島で、障害児を含めたサマーキャンプを実施しています。
5人の健常児が1人の障害のある子どもと交流するキャンプですが、そこへ17歳の洋子ちゃんという、両手両足の動かない女の子が、お母さんが押す、車椅子で参加しました。
沖縄は、星空がきれいなので、七夕祭りを行うことになり、皆で「願い事」を書いた短冊を笹に吊るすことになりました。
車椅子にすわっていた洋子ちゃんにも「何か書いて」と、お願いすると「別にないな」という返事でした。
「そんなこと言わないで何か書いてよ。皆、ドラえもんの竹コプターや、イルカに乗って沖縄にこれたらいいのにとか、できもしないことを書くのだから、洋子ちゃんも何か書いてよ」とお願いしましたが「ない」という返事でした。そばにいたお母さんが「洋子も何かあるでしょうが」ときつく言うと「ないものはない」と怒ってしまいました。
しばらく、そのままにしておいたのですが、夕方になって、子どもたちが短冊を吊るすようになったので「洋子ちゃんも、何か書いたら」と言うと「じゃあ、1つだけ書いてくれる?」といって、書いた言葉が「もし、神様がいらっしゃるならお母さんより1日だけ早く死なせて下さい」という言葉でした。
17歳で両手両足の動かない女の子が、何を思ったか、というとお母さんが先に死んだら、誰がおしめを替えてくれるのか。誰がおふろに入れてくれるか。そんなことが気掛かりだったのだと思います。
 炊事のお世話をされていたお母さんが「洋子が何か書いたようですね」と聞かれたので「短冊が掛けてありますよ」と答えました。見に行かれ、じっと、短冊を見つめたあと、お母さんが「わたしも一言、書いていいですか」と言われ、書かれた言葉が「もし、神様がいらっしゃるなら、贅沢かもしれませんが、娘より一日だけ長生きさせて下さい」という言葉でした。
 キャンプが終わり、帰り際に、洋子ちゃんが「私は神様に選ばれたのよね。私だったら、神様は耐えられると思って、こんな試練をくれたのよね。私って、選ばれたのよね」といって笑顔で帰っていきました。
どうしようもない縁を生かしきる。そして、今を喜ぶという姿に感動しました。
障害のある子どもと親が、安心して暮らせる福祉の充実した社会作り。
そして、高齢化社会を迎える中で老人介護が、大きな社会問題となっています。「親子の縁」「家族の絆」の素晴らしさを、県の事業として、啓蒙していくことの大切さを強く感じます。

「母ちゃんに心配かけられんから」

私の長男は、来年成人式を迎えますが、成人式のたびに、ある男の子のことを思い出します。
十五年くらい前、小野田市内の中学校が非行問題で荒れた時期がありました。先生は生徒から殴られ、ガラスも百五十枚割れました。当時の総番長は、通称「花ちゃん」と呼ばれていた生徒で、身長百八十センチ、髪の毛を金髪に染め、背中に龍の絵の入った学ランを着ていました。
花ちゃんは私の塾生で、小学五年から預かった子供でした。いい子だったのですが、中学校に入ったとたん、非行グループと付き合うになり、二年生になってからは、学校で堂々とタバコを吸い、非行問題を繰り返していました。「何とかしよう」と思い、一生懸命取り組んだのですが、三年生の初め、ついに塾を止めてしまいました。
その彼が、中学校を卒業して、五年ぶり突然、塾にやってきました。
七月十五日でした。「こんにちは」という声を聞いて、玄関に出てみると、白いポロシャツを着た青年が立っていました。初め、誰かわからなかったのですが、ニヤッと笑った瞬間「花ちゃん」だと気づきました。
「どうした」と問いかけると、恥ずかしそうに背中から、箱を取り出して「先生、お中元を持ってきました」と笑顔を見せました。こういうのを「お礼参り」と言うんですね。コーヒーの詰め合わせが入っていました。
帰るときは、玄関の外まで見送りました。彼が五、六歩、歩いた背中に向かって「真面目になったなあ」と声を掛けると振り向いて「先生、俺いつまでも、母ちゃんには心配かけられんから」と笑顔を見せました。
年が明けた一月十五日、今度は突然、お母さんが「息子が成人式を迎えました。うれしくて、報告に来ました」と塾に来られました。「中学校を卒業して、三年くらいは、遊んでばかりいたのですが、その後、建設会社に勤め、何と、去年は一日も休まずに働いて、年末にはお父さんのために、大きなワイドビジョンのカラーテレビを買ってくれたんですよ」とうれしそうな顔をされました。話題が中学時代の話になると、お母さんの目は輝いていました。
「先生、息子は本当に悪かったですよね」と悪かったことをまるで自慢しているような話振りでしたが、花ちゃんが中学生の頃のお母さんは、花ちゃんに投げられ、あばら骨を三本折って、一ヶ月も入院したことがあり、憔悴しきっていました。 
そのお母さんが、当時のことを懐かしそうに話される姿を見て、子育ては、苦労はあるけれど、だからこそ喜びも大きいのだという思いを強くしました。
以来、非行少年と接するたびに「将来、親を感動させよう」と頑張っているんだなあと、思うようにしています。
青少年に関わる事件が多発していますが、「親子の絆」の大切さ必要性を強く感じます。

「お母さんは偉い」

皆さんに聞いて頂きたいテープがあります。(テープを流す)
「お母さん」と聞こえませんか。鳥やイルカの鳴き声ではありません。秋芳洞に住んでいる、コウモリの赤ちゃんの鳴き声です。コウモリの赤ちゃんは「お母さん」と鳴くんです。本来は超音波ですから「ピッピッピッ」と甲高い鳴き声ですが、テープの回転数を落とすと「お母さん」と聞こえます。
コウモリは哺乳類です。お腹を痛めて、赤ちゃんを産むんです。天井に何千匹も、一緒に群がっているんですが、お母さんには何千匹いても、自分の赤ちゃんがわかるんだそうです。餌をとるために、洞窟から出て、再び戻ってくるとき、真っ直ぐ自分の赤ちゃんのところへ飛んでいきます。そのとき、お母さんを呼んでいる赤ちゃんの鳴き声が、この「お母さん」です。
私は毎年、大分県の九重高原で小学生を対象とした4泊5日のキャンプを行っています。2日目はいつも、炎天下、20キロのハイキング、そして夜は野宿です。
もっとも辛くて「家に帰りたい。お母さんに会いたい」と思っているとき、夜の行事で、このテープを聞かせてみました。何と、子どもたちは大泣きでした。「お母さん」という響きがいいんです。
私の長男が幼稚園のとき、運動会で園児50人が、頭から米袋を被って、校庭を走り回り、お父さんが自分の子どもを捜すというゲームがありました。まるで私の子どもに対する愛情を試されているような気がしました。結局、5人の袋をはぐって、全部ハズレでした。
観客席に戻ったときの、妻の目線の冷たいこと。「お父さんはなぜ、わからないんですか。私は初めからわかっていた」と言われてしまいました。10月10日、自分のお腹の中で育て、命がけで生んだ人はすごいと思いました。
子どもに対する愛情の深さは、父親は残念ながら、母親には勝てません。

「ご両親からの手紙」

夏休み後半には、4泊5日の「子ども自然体験キャンプ」を大分県九重高原で実施し、忙しい夏でしたが、充実した日々を過ごすことができました。
キャンプでは、毎回「親が子に生き方を教える」をテーマに「ご両親からのお手紙」という研修を行っています。キャンプが始まって3日目、子どもたちが「家に帰りたい」とか「お母さんに会いたい」と思い始める頃に、思いもかけない「ご両親からのお手紙」が子どもたちに届けられます。
手紙には「生まれたときの様子」や「そのときのご両親やご家族の喜び」「名前の由来、期待や願い」が書かれています。3日目の夜、私の講話が終わったあと「今9時、お父様お母様は、テレビも見ないで、君たちのことを心配しているかもしれない。今日は思いもかけず、お父様、お母様から、お手紙が来ている。今から名前を呼ぶから、出て来い」出掛けに、お母さんと喧嘩をして「ぼくには来ていない」と思っている子どもは、名前を呼ばれただけで、大泣きです。 
全員に行き渡ると、懐中電灯で、手紙を照らさせます。封筒には「何々様」と書いてあります。「お父様お母様がどのような思いで『様』と書いたかわかるか。今から10分間、何度でも読み直せ」と言って、懐中電灯の明かりで、子どもたちは手紙を読み始めます。
バックからは「シルクロード」の曲が流れてきます。いろいろ試しましたが、雰囲気にぴったり合っています。
10分間、全員大泣きです。最初に泣き始めるのは、いつも中学生、そして小学生高学年、最後に小学1年生が、周りを見ながら「あれ、僕も泣かなきゃ」という感じで、泣き始めます。1年生は字を読むだけで精一杯、感動とまでには行かないようです。
子どもたちは涙の中で「自分にとって親とは、何なのか」「どのような生き方をしなければいけないのか」ということを学びます。
最近の子どもたちは「無感動」と言いますが、決してそのようなことはありません。
子どもたちの感想文には「この手紙は、一生の宝物です。これからは、お父さんお母さんを大切にします」と書いています。感動は一週間でさめてしまいますが、私は人生の折り目、節目だと思っています。
 手紙の素晴らしさは「10分間手紙を書けば、10分間相手のことを思っている」ということです。
「思いやり」という言葉がありますが「思いを送る」という意味では、手紙ほど素晴らしいものはありません。
「僕はこんなにも愛されている」「僕を認めてくれる人がいる」ということが伝われば、いじめにくじけない、自殺なんかしない、強い心を持った子どもが育つに違いありません。
青少年や親子、家族に関わる事件が多発しています。親子の絆、家族の絆が問われている時代だと思います。

「花それぞれ 人それぞれ それぞれに咲く」

私は長年、学習塾の塾長として、多くの受験生を見てきました。「花それぞれ、人それぞれ、それぞれに咲く」と言う言葉がありますが、受験に失敗したばかりの子どもたちに、伝える言葉はなかなか見つかりません。
以前、受験に失敗した女の子のご両親が、5月の中旬、突然、自宅来られました。
お父様が「受験に失敗した私の娘のことを、どう思っておられるかわかりませんが、私は娘が受験に失敗したことを、たいへん喜んでいます。」と言われ、一瞬「えっ」と思いました。
「私の娘は、今まで人から後ろ指を指されたことは、一度もありません。勉強も体育も美術も一生懸命、頑張ってきました。高校受験に当たっても、担任の先生から「お前なら大丈夫!」と言われ、自信を持って受験しましたが、残念ながら、不合格でした。
発表から3日間、ほとんど部屋から出てこないで、泣いてばかりいました。しかし、泣いて、苦しんで。今回のお陰で、娘はきっと、悲しみのわかる人間になれたのだと思います。」と言われたときには、涙が出てきました。
 それから、二日後、お父さんから、電話が掛ってきました。電話口で泣いておられましたので「どうされましたか」と尋ねると「私は、今日くらい、こんな素晴らしい娘を持ったことを、幸せに思ったことはありません。偶然、娘の部屋に入ったら、壁に大きな紙が貼ってあって、墨で「高校に入ったら、頑張るぞ!」って書いてありました。それを見た瞬間から、涙が止まらなくて、うれしくて、電話させて頂きましたと、言われました。
受験に失敗した塾生や保護者の皆さまから多くのことを学びました。

「初任給だけはご両親のために」

新入社員研修に、講師として招かれると必ず「最初の給料だけは、長年育てて下さった、ご両親のために使って下さい」と話をします。
すると、新入社員の女性が「ご両親に、夕食をご馳走しよう」とフランス料理の高級レストランを予約しました。   
ところが当日、仕事の都合で、少し遅れて、レストランに着くと、お父さんは、顔を見るなり「人を食事に誘っておいて、待たせるとは何事だ」と娘を叱り、その上、食事が始まると「お前なあ、20年間育ててもらった恩を、1回の食事で済ませようと思うなよ」とか、料理を出されるたびに「なぜこんなものを注文したんだ」などと、嫌味を言ったそうです。
そんな時ふと、お父さんの手を見ると、しわだらけの手に、セメントのクズがこびり付いていました。お父さんは、建設会社の現場監督です。
「この手で私を20年間育ててくれたんだなあ」と思ったら、何も言えなくて、今日1日だけは、何を言われても我慢しようと決めました。それでも、お父さんは嫌味を言い続けました。
家に帰って、お風呂に入りながら「お父さんなんか、2度と、食事に誘わない!」と思いました。風呂から上がって、茶の間の前を通りかかると、中から、お母さんとお父さんの会話が聞こえてきました。お母さんが、お父さんに「今日の夕食、おいしかったね」と尋ねると、お父さんが「おれ、人生48四十八年、生きてきたけど、今日くらいうまい晩御飯、食べたことなかったなあ」と答えたとたん、その新入社員の女性は、涙が止まらなくて、フトンに入り、思いっきり泣いたそうです。
県庁の新入職員にも「最初の給料くらいは、ぜひ、ご両親のために!」と指導されて如何でしょうか。

「入試に失敗した生徒からの手紙」

私はかつて学習塾の講師をしていましたが、毎年、3月のこの時期になると、高校入試のことで、胃が痛い毎日でした。必ず、受験に失敗する生徒がいます。皆さまの中にも、辛い思いをされた方も、おられるかもしれません。授業料の安い県立高校へ進学させたい、との期待を持っている親も多く、子どもたちにとっては、そのことが、大きなプレシャーとなっています。以前、受験に失敗した女の子から頂いた手紙を紹介します。私が手紙を出して一週間後に届いた返事です。
『先日はお手紙どうもありがとうございました。受験結果のことを、電話で報告しなければいけないのに、しなくて申しわけありませんでした。やっぱり駄目でした。自分でも駄目だと、半分わかっていても、心のすみで「もしかしたら」という気持ちがありました。その気持ちが半分あったため、ショックが大きいように思えます。
先生からお守りを頂き、数学や理科など、毎日のように忙しい中、教えてもらったのに、このような結果で、本当に申し訳ありません。私は今まで世の中を、本当に甘く見ていたのだと思います。今回の結果は悪いほうにでましたが、私は良い経験をしたと思います。もし、ギリギリ受かっていたら、私はまた同じことを繰り返し、努力することを知らない人間になっていたと思います。だから今、私はちょっと悲しいけれど、落ちて良かったと思っています。これからも、悲しいことがいっぱいあると思います。そのときは先生のところに行きますので、相談に乗って下さい。それではお体に気をつけて。さようなら。』
合格発表から、たった1週間で、こんな手紙を書けるのかなあと、心から感動しました。それから3年後、彼女が突然、塾に来ました。あらたまった顔をして「私、短大の保育科に合格しました」と言ったとたん、彼女は泣き出してしまいました。そして「私、今日が来るのを3年間待っていました。高校入試のとき、合格したら、真っ先に報告に来ようと思っていたけど、不合格で、来れなかったから、大学入試だけはと思い、頑張りました」と言ったとき、側にいた家内は泣いていました。その後、短大に行って、彼女の受験番号の前で、記念写真を撮りました。大学から我が家まで、約5キロの道のりをどんな思いで、自転車を漕ぎながら来たのかと思うと、涙が出てきます。
塾の講師として、陽のあたらない役割を演じた子どもたちから、たくさんのことを学ばせて頂きました。

第11回西日本シニアソフトボール大会

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第11回西日本シニアソフトボール大会がフジグランそばの東部グランドで開催されました。
西日本各地から勝ち抜いた20チームが参加し、2日間の熱戦を繰り広げ、地元の山口クラブが優勝しました。
私は宇部市ソフトボール協会会長として、大会実行委員長。
初めて、優勝旗返還、答礼を受けました。
シニアとは60歳以上のチーム。しかし、ピッチャーの球の速さは一流。事前の監督者会議から各チームとも、冗談が言えないほど、気合が入っていました。
勝負にかける意気込みに年齢は関係ありません。
見習わなければいけません。
(写真左は、宇部ソフトボール協会の皆さんです。会長は私、副会長は市議会議員の山本哲也さん、理事長は上田和彦さんです。)

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公式試合のソフトボールが皮製なのを、皆さんご存知ですか。
宇部市ソフトボール協会会長に就任した最初の大会で、始球式をさせて頂き、ボールを握って、初めて知りました。
ソフトボールはゴム製だけと思っていたのですが、会長としては超勉強不足でした。

2007年09月24日

道普請

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地元「第二原」の道普請に参加するために、早朝から草刈り機の整備をしました。
担当の場所にいってみると、すでにきれいに草刈りが終わっており、道の周辺の掃除くらいしか仕事がありませんでした。前日、近所の方や田の持ち主が、「迷惑をかけてはいけない」と草刈りをされていたようです。結局、草刈り機を持っていったけれど、使わずじまいで終わってしまいました。
「人に迷惑を掛けるから、事前に草刈りをしておこうという心遣いが素晴らしい」と思わせていただきました。
実は前夜、我が家でも家内が、自宅前の水路の草刈りを、懐中電灯を持って行っていました。
自宅前のことで、迷惑は掛けられないという思いがあるのだと思います。
帰宅後、せっかく、草刈り機を整備したので、事務所周りと駐車場の草刈りを行いました。
使い慣れていないせいか、刈った草を片付けると、トラ刈り状態。
しかし、充実した一日を過ごし、働いた気になりました。


2007年09月29日

「ときわミュージアム」オープンセレモニー 

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「緑と花と彫刻の博物館」(愛称:ときわミュージアム)と「第22回現代日本彫刻展」のオープンセレモニーに出席しました。
サボテンセンター内にブリキの魚がつるされ、まるで海の中のように演出されていました。
大賞を取られた作品など、ゆっくり見せて頂きましたが、宇部市で開催されている「現代日本彫刻展」は、日本を代表する彫刻展。さらに、世界3大野外彫刻展の一つそうです。
予算的にも、宇部市だけで運営する事業規模ではありません。
県の大きな支援が必要だと感じました。
(写真左より、小川裕己市議会議長、植松洋進市議会議員さん)

見学後、会場西側にある古民家で開催されていた茶会(裏千家淡佼会青年部主催)で、お抹茶を頂きました。
青年部の皆さまには、昨年開催した『子ども匠の学校』でたいへんお世話になりました。
お茶も良かったけれど、茅葺の古民家がいい。
100年以上も前の民家を移築して、さらに30年以上たっており、屋根など痛みがひどいのですが、眺めているだけで、心が和みました。
(建物の保存状態が良くないので、使用に当たっては、相当苦労されたようです。
改修工事が必要ですが、萱の入手が難しく、技術者を見つけるのもたいへんです。常盤公園や市で何とかして頂きたいですね。)

2007年09月30日

第7回民踊マラソン大会

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「第7回民踊マラソン大会」で宇部市レクリエーション協会会長として、ご挨拶をさせて頂きました。
協会が主催している『2007スポレク祭』の一環として開催された事業です。
40曲、約4時間踊り続ける大会です。
私はレクの上級公認指導員ですが、炭坑節くらいしか踊れません。
毎回、200名を越える方々、県内各地から参加されて、和やかな雰囲気が会の魅力です。
参加されている方々の人柄ですね。

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野原悌治さんに、久々にお会いしました。お元気そうな姿に、うkれしくなりました。フォークダンスなどレクリエーション活動に長年活躍され、宇部市の社会教育活動に多大な貢献をされています。(野原写真館を経営されていました)
ところで、大会名は民謡ではありません。民踊です。昔、間違えて原稿を書き、会長の光谷英男さんにお叱りを受けたことがありました。


91歳でバイクに乗る父

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私の父は大正6年生まれで91歳。
75歳まで現役の大工の棟梁をしていました。
「生涯現役こそ、最高の高齢化対策だ」と思いますが、91歳でバイクに乗っている人は稀だと思います。
「危ないから止めたら」と言いたいところですが、バイクを止めると、一気に老けてしまいそうで言い出せませんし、言えば叱られそうです。
7月には、「バイクを置く場所が狭い」と言って、父母の部屋のそばに、バイク小屋を増築しました。
しかも、先日は「三輪車のほうが、楽かもしれない」と言ってバイクを買い換えようとしましたが、バイク屋さんから、却って危ないと言われあきらめたようです。
いつまで乗る気かわかりませんが、自宅からスーパーまでの往復、通いなれた道だけに安全を祈って見守るしかありません。「ご安全に」

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