2010年03月11日

学位博士(工学)を授与されました。3.8

山口大学より学位博士(工学)を授与されました。
授与式は山口大学工学部の本部棟で開催され、学長の丸本卓哉先生より手渡されました。
防災工学分野(安全環境教育分野)での博士号です。
ひとえに研究活動を支えて下さった三浦房紀教授をはじめ、多くの皆さまのご協力の賜物と心から感謝しています。

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論文作成など、たいへんお世話になった村上ひとみ准教授も駆け付けて下さいました。

振り返ってみますと研究活動の発端は、平成7年の阪神・淡路大震災直後、被災者が避難所となった体育館に溢れ、不自由な生活を余儀なくされている姿をテレビで見たときでした。
当時必要とされた仮設住宅は約5万戸、その建設日数は6ヶ月も掛かるとのことでした。
「被災者をプライバシーのない避難所生活から早期に開放する方法はないのか」「立派な仮設住宅でなくとも、とりあえず住める簡易住宅を早急に提供する施策はないのか」と考えたとき、思い起こしたのは単独太平洋横断に使用したシンシア3世号のことでした。
全長6m、幅2mの小さなヨットですが、船内には4人生活できる空間と設備がありました。 
その経験を基に「1週間で5万戸設置できる避難施設を開発したい」を研究課題として始まったのが、早期設置型戸建てシェルター(緊急避難施設)の開発でした。
「被災者を救いたい」との願いだけで始まった研究は15年目を迎え、山口大学大学院(防災システム工学科)に社会人学生として入学して9年目となりました。
議員として多忙な日々の合間での研究活動でした。
しかし、長年の研究成果を博士論文としてまとめる機会を頂けたことは本当に有難いことだと感謝しています。
今後も微力ながら「暮らしの安全・安心を守る」という使命感を持って災害対策に取組んで参りたいと思っています。

2010年01月13日

以西底引き網漁船の行方不明事故(同型船に乗船)1.13

36年前20歳のとき、私はまったく同型の以西底引き網漁船に、2ヶ月間乗船していました。
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(行方不明になった第2山田丸)

1月12日午前4時半ごろ、長崎県五島市・福江島の北西約85キロの海上で、長崎市の山田水産所属の以西底引き網漁船「第2山田丸」(113トン・10人乗り組み)が行方不明になりました。
現場付近で無人の救命いかだが発見され、7管は転覆するなど遭難した可能性が高いとみて周辺海域を捜索しています。
第2山田丸は長さ33・6メートル、幅6・8メートル。日本人4人と中国人6人が乗船していたとのことです。
真冬の海での遭難は残念ながら、絶望的とも言えます。しかも、この寒波です。
私はテレビで遭難した漁船の写真を見て、びっくりしました。
20歳で宇部高専を卒業した後、「ヨットによる単独太平洋横断」という夢を実現するための資金稼ぎと航海術を学ぶために、福岡に本社のある㈱トクスイの以西底引き網漁船「第11徳広丸」に乗船しました。
今回遭難した「第2山田丸」と同型の漁船でした。
色も形も同じ船です。
113トンの船に当時は12名乗船していました。
黄色の船首操舵室(ブリッジ)下には乗組員の居室があります。
居室といっても、蚕棚のような狭い空間で、寝台列車のベッドと同じくらいの空間しかありません。
底引き網漁船のため、エンジンの馬力は非常に大きく、また悪天候に備え喫水は深く、余程の事がない限り、転覆する構造ではありません。
当時の状況はわかりませんが可能性があるとすれば、船首が波で持ち上げられたときに、思いもかけないような高波が船尾から襲ってきた場合、もしくは船を回頭するとき大きな高波が襲った場合です。
私が乗船した頃は、冬場の漁の獲物は高値の大正海老でした。
1ヶ月くらいの漁で、船員は70~100万も給料をもらっていました。
当時の大卒の初任給は6~7万円ですから、凄い稼ぎです。
だからこそ、相当無理な操業をしていました。
私は2ヶ月で業船から降り、次に北海道を中心に重油やガソリンを運搬する国内航路の油タンカーに乗船しました。
500トンから1000トンくらいの船でしたが、冬の北海道も厳しい航海の連続でした。
船首の手すりは雪と寒風で海水が、直径15センチくらいに凍りつき、また新潟港では一晩で80センチの降雪も経験しました。
約3年間の船員生活で350万円のお金を貯め、ヨットを作り、昭和52年5月、手作りヨットによる単独太平洋横断に出航しました。

今は「第2山田丸」のご無事を祈るばかりです。

2010年01月01日

2010年、明けましておめでとうございます。1.1

明けましておめでとうございます。
旧年中はたいへんお世話になりました。

「7月21日豪雨災害」により被害を受けられました皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
災害発生後4日間、被災現場を視察しました。
厚東川流域には2.5mの高さまで浸水した家屋があり、護岸かさ上げ、排水ポンプ増設、高齢者世帯へのボランティア支援、個人住宅に対する災害復旧支援などの課題解決に向けて取り組む所存です。
ところで、一昨年からの世界同時不況は地域経済にも深刻な影を落とし、山口県においても企業収益は悪化し、景気・雇用情勢は予断を許さない状況です。
特に高校生の就職内定率は71%という厳しさであり、未来に対する夢と希望を奪いかねません。 
一方では第二期地方分権改革の議論が本格化し、将来的には道州制も避けて通れない課題となるなど、地方は大きな転換期に差し掛かっています。
さらに政権交代による政策転換から国の方向性が定まらず、県の予算編成にも大きな影響と不安を与えています。
さて、5月の臨時議会では文教警察委員会の委員長を拝命致しました。
未来を担う子どもたちの教育や暮らしの安心・安全・防犯対策などの課題に精一杯に取り組み、その役割を果たして参る所存です。
また7月1日には、宇部市の旧・吉部小学校を借り受け、広域通信制・単位制高等学校を開校いたしました。
県内の不登校や引きこもりは1800名、高校中退は年間600名に達し、一方、数年前から高校を卒業しなければ理・美容師や調理師などになることが難しくなり、子どもたちの行く末に不安を感じていました。
小さな高等学校ですが子どもに夢と希望を与える学校づくりに努力して参ります。
初心を忘れず生活者の起点に立ち、自ら行動し「山口県に暮らして良かった」と思える「住み良さ日本一の元気県づくり」を目指します。
今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
新しい年が皆さまにとって素晴らしい年でありますよう願っております。

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「子どもたちの、この笑顔を守りたい」
子どもの笑顔は、その国の心の豊かさを表す鏡だと思います。


2009年12月29日

初詣は妻崎恵美須神社へ 12.29

初詣は妻崎恵美須神社にお参りされませんか。

平成10年から縁あって、お世話をさせて頂いています。
毎年1月1・2日は「ぜんざい」の接待をさせて頂きます。
神社のそばにある「森と海の学校の合宿所」(白い建物)が社務所代わりです。
お気軽にお越しください。
お待ちしています。

場所は厚南区竹の子島(妻崎漁港)です。
 (厚東川の厚南平野側の河口にある漁港の丘の上にあります)

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恵美須神社です。手水鉢には「源」「平」「藤原」の姓がついた名前が彫られています。
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毎年、春祭りには花見を行っています。

「博士」学位論文公聴会:開催12.18

12月18日、「博士」学位論文公聴会が山口大学工学部のD12講義室で開催され、無事終えることができました。
おかげ様で「工学博士」の学位を頂けることになりました。
これまでお世話になりました多くの皆さまに心より厚くお礼申し上げます。
学位は3月16日山口大学本部の授与式で授与される予定です。

さて、12月18日午前9時からの公聴会には、早朝、雪の降りしきる中、しかも年末のたいへんお忙しい時期にもかかわらず、多くのご参加頂きました。
おかげ様で博士論文の予備審査、本審査、そして公聴会を終え、来年3月16日、山口大学本部で開催される授与式で学位「工学博士」を頂けることになりました。
研究成果を論文としてまとめる機会を頂けたことは、本当に有難く多くの皆さまのご協力の賜物と心から感謝しています。
振り返ってみますと平成7年の阪神・淡路大震災直後、被災地では避難所となった体育館に被災者が溢れ、不自由な生活を余儀なくされていました。
当時必要とされた仮設住宅は約5万戸、その建設日数は6ヶ月も掛かるとのことでした。
「被災者を避難所でのプライバシーのない悲惨な生活からの早期に開放する方法はないのか」「立派な応急仮設住宅でなくとも、とりあえず住める簡易住宅を早急に提供する施策はないのか」と考えたとき、思い起こしたのは昭和52年、単独太平洋横断に使用したシンシア3世号のことでした。全長6m、幅2mの小さなヨットですが、船内には4人生活できる空間と設備がありました。
その経験を基に始まったのが早期設置型戸建てシェルター(緊急避難施設)の開発でした。
思いだけで始まった研究も14年目、山口大学大学院(防災システム工学科)に社会人学生として入学して9年目。
議員としての仕事の合間での学業でしたが、これからも「県民の暮らしの安全・安心を守る」という使命感をもって、防災対策に取組んで参りたいと思っています。

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公聴会開始前、会場看板の前で

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受付で記帳をしてくださる聴講者

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私の研究内容を紹介する三浦房紀教授(工学部長)、その後ろで緊張気味に私

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多くの聴講者の前での発表、まさに私は学生です。

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プロジェクターで映し出されたパワーポイントのスライドで研究発表を行う

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聴講者から質問を受ける私(質問されているのは浮田教授です)

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終了後、会場看板の前で記念写真。
左端は妻の里美、そして、宮本弘・映子後援会会長夫妻。
三浦房紀教授、村上ひとみ准教授、滝本浩一准教授には、本当にお世話になりました。
心より厚くお礼申し上げます。
この後、私は議会に出席するため、山口に向かいました。


2009年12月13日

第39回宇部市街頭美化清掃作業 12.13

12月13日(日)午前10時から11時で開催しました第39回宇部市街頭美化清掃作業には400名を超える市民の皆さんが参加して下さいました。
心より厚くお礼申し上げます。
実行委員長として12回目の開催です。
毎回終了後、集められたゴミの山を眺めると、うれしい気持ちになります。

市制50周年を記念して始まった中心市街地の年末街頭清掃奉仕は、毎年400名を超える市民の皆様のご参加を頂き39回目を迎えることができました。
宇部市はかつて世界有数の煤塵公害都市といわれていましたが、産官学公の宇部方式によって克服した歴史があります。
特に宇部市を挙げての清掃奉仕は、今も企業や市民の方々に受け継がれ、会社や自宅付近の清掃奉仕を自主的に毎日行っている方々がたくさんおられます。
「宇部市はかつて日本一掃除の盛んな町だった」と振り返る方もおられます。
良き伝統を受け継いで参りたいと思っています。

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東部地区集合場所の宮大路児童公園には200名を超えるご参加を頂きました。
(西部地区集合場所は宇部新川駅前)
緑色のジャンパーは、今回のために作製しました。
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開式の挨拶と諸注意を行う私
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清掃作業に取組む参加者
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落ち葉で、すぐに袋が一杯になりました。
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子共と一緒に参加してくださった方もたくさんいました。
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国際ソロプチミストの皆さん
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宇部西高等学校生徒会の皆さん
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終ってみれば、ゴミの山ができました。
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スタッフとしてお手伝い頂いた「森と海の学校」の指導員たち

来年の第40回宇部市街頭美化清掃作業は12月12日(日)に予定しています。
琴崎八幡宮の清掃奉仕を6月1日6時からと、12月1日6時30分から約30分間行っています。
ご参加頂ければ幸いです。


2009年12月04日

「博士論文公聴会」のご案内 12.4

「博士論文公聴会」のご案内

 宇部市議会議員に初当選した平成11年の10月、宇部市は台風による高潮で甚大な被害を受けました。
これから自然災害の多発時期が来るのではないかとの危機感から、災害対策を学ぶために、平成12年10月、山口大学大学院(防災システム工学科)に入学しました。
平成14年9月、修士課程を終えましたが、新潟県中越地震、有珠山噴火、福岡県西方沖地震、さらに山口県でも集中豪雨により大きな被害が多発するなどの事態を受けて、さらに知識を深めるため、10月から博士課程(安全環境工学分野)に入学しました。
しかし、議員としての活動のかたわらということで、単位は取得したものの論文が進まず、6年目を終え単位取得退学。(博士課程は3年間、6年以上在籍できません。)
そして7年目の今年8月、ようやく2編目の日本建築学会・査読論文の採用が決まり、8月末、学位論文を大学院係に提出しました。
先日11月24日、本審査を終え、このたび公聴会が開催されることになりました。
(学位授与式は平成22年3月16日、大学本部で行われます)
論文題目は「大災害を想定した早期設置型戸建てシェルターの開発と評価」です。「戸建てシェルターの開発」は、阪神淡路大震災の発生直後から取組んできた課題です。
これまでの研究成果をご聴講頂けると幸いです。


日時:平成21年12月18日(金) 午前9時~10時
場所:山口大学工学部(常盤台)
  (会場はD棟123号室です)
    ※誰でも参加できます。【駐車場もあります。正門からお入りください】
    ※当日、直接会場までお越し下さい。

ご参加頂ける方は資料作成などの準備の都合上、12月16日までに、FAX(44-4423)、電話、またはメール(seiji@okamura21.com)にてご一報頂けると仕合せです。

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審査会で、博士論文に赤ペンがたくさん入りました。
論文の修正がたいへんな作業ですが、あと少しです。
頑張ります。
あきらめなくて良かったです。本音です。
議員になって大学に入った人も稀だと思いますが、
議員になって学位を取った人は、全国的にもいないようです。

ここまで頑張れたのは、主査の三浦房紀教授(工学部長)、村上ひとみ准教授、そして、戸建てシェルターに関わった多くの皆さまのお陰だと心から感謝しています。
厚くお礼申し上げます。

我が家は大学生が3人(長男、長女、私)。
経済的にも、嫁さんが一番喜んでいます。

「がんばる先生応援団」12.4

頑張っている先生たちを応援しませんか。
あこがれ先生プロジェクト!!
「がんばる先生応援団」
結成準備会参加者&協賛企業募集のご案内

教育熱心で素晴らしい先生がたくさんいます。
しかし、中には自信と元気を失い、それでも必死に頑張っている先生もいます。
高い志と熱意を持った先生が、教育者としての誇りと喜びを持ち「教師になって本当に良かった」と思って頂くために、現在、「がんばる先生応援団」の結成準備を進めています。
この取組みに賛同し、結成準備会に参加して頂ける方、もしくは協賛してくださる企業を募集しています。
 ぜひ、ご参加ください。

第1回「がんばる先生応援団」結成準備会
日時: 平成22年2月20日(土)午後3時~5時
場所: 精華学園高等学校(宇部市東吉部)
     
     ※午後5時から懇親会(会費3,000円、宿泊可)
  1.お気軽にご参加ください。
  2.参加資格は、日本の未来を担う子どもたちのために「先生を応援したい」という想いだけ
    で結構です。
  3.懇親会はイノシシ鍋で酒を飲みながら、日本の未来を語りましょう。
  4.先生は参加できません。あなたを応援する会です。
    しかし、興味のある方は、どうぞご参加ください。
  5.会費は当日、徴収します。
 
参加を希望される方は、2月15日までに、FAX(0836-44-4423)またはメール(E-mail:  
 seiji@okamura21.com)でお申込みください。

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体験学習の研修会に自費で参加している先生たち

「がんばる先生応援団」の趣意書(案) 文面は準備会で決定します。

「先生になって本当に良かった。」と目を輝かしてほしい。
なぜなら、子どもたちの未来を、先生は担っているからです。

多くの先生は子どもの頃、素晴らしい先生と出会い、あこがれ、そして「大人になったら、私も先生になりたい」と夢をみて、念願の先生になりました。
だからこそ私たちは、子どもたちのために輝いてほしいのです。
なぜなら『先生は未来を託す子どもたちのあこがれ的存在であり、生き方の見本であることが教育の基本だ』と思うからです。
さて近年、情報化社会の進展、ファミコンや携帯電話の普及、個室文化の影響などに伴い、人に対する思いやりに欠け、自己中心的な考えを持つ子どもたちが増えています。
その結果、学校では友人関係がうまく築けず、ちょっとしたストレスに耐えられない子どもが増え、イジメや不登校、学級崩壊などが急増しています。
一方、先生は自己中心的な生徒や保護者への対応に苦慮し、何より「先生を尊敬する」という基本的な考えの喪失が、子どもたちの教育をより難しくしています。
しかし、先生が「日本の未来を担う有為な青年を育てる」という大きな使命感を持ち、子どもたちを教育しなければ、日本の未来はありません。
「先生になって本当に良かった。」と目を輝かし、日々、子どもたちと接している先生がたくさんいます。
しかし反面、子どもたちの言動や学級運営に戸惑い、困り果て、先生としての使命感や自信、誇りを失いかけている先生がいます。
保護者や校長の顔色を窺いながら、本当は子どものためにしてあげたいことがあるのに、前段階で踏み止まっている先生がいます。
子どもたちがあこがれる先生を目指して教師になったのに、いつの間にか、教科を教えるだけの空虚な時間を学校で過ごしている先生がいます。
そんな先生たちを応援したい。
「先生になって本当に良かった」と目を輝かせ、「日本の未来を担う子どもたちを育てる」という強い使命感と誇りを持つ先生を増やしたい。
日本の未来のために、がんばる先生を応援したい。
有志が集まり、「がんばる先生 応援団」を結成します。 

【主な事業】(案) 

民間だからこそできる先生たちへの応援活動なら、何でもOK。やりましょう。
 1)「あこがれ先生!プロジェクトin山口」の開催
     (平成22年11月開催予定)
   無名だけど、生徒から慕われ、憧れを持たれている素敵な先生が全国にはたくさんいます。
   そんな先生からヒントを学ぶ交流会
 2)がんばる先生座談会、交流会の開催
 3)教室や野外で活かせる活動事例の紹介
 4)先生による先生のための自主勉強会の開催
 5)「先生居酒屋」の開催
 6)その他

2009年12月03日

精華学園高等学校の校歌を募集 12.4

学校法人山口精華学園 X ピアプロ コラボによる校歌を募集しています

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「クリプトン・フューチャー・メディア社から発売されている「キャ ラクター・ボーカル・シリーズ - 初音ミク」を使って、オリジナリティあふれる校歌を創作してください

募集期間 : 2009年12月21日(月)17:00まで
ボーカルパートに「初音ミク」を使用した楽曲の募集となります。
※ コーラスなどに鏡音リン・レン、巡音ルカ、MEIKO、KAITOの使用はOKです。
テーマは「幸せに生きる」です。
校歌にふさわしいもの(不当な表現等は使わないこと)であれば音楽的なジャンルや歌詞の世界観は自由とさせていただきます。(主催者の判断を基準)

詳しくは、精華学園高等学校のホームページに記載されていますが、すでに応募されている方の楽曲を聴くことができます。
どれも素晴らしい曲です。
是非、聞いてみてください。
感動しますよ。

2009年10月21日

関白宣言に涙した父 10.20

父は大正6年生まれの92歳ですが、天気がいい日はバイクで魚釣りです。
75歳まで、現役の大工の棟梁でした。
母は大正14年生まれの84歳。結婚63年です。

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父が釣ってきたハゼ。全部で42匹。我が家では食べきれず、いつも近所に配っています。

9月議会「一般質問」の前段で話した関白宣言の話。ぜひ、読んでみて下さい。

「敬老会」でお年寄りの皆さんとお話をしているうちに、十数年の、我が家の出来事を思い出しました。当時、82歳だった父が、突然私に「もし、俺が死んだから、毎月、墓参りに来てくれるか」と聞いたので、私は「毎月は無理。年4回。盆と正月、それからお彼岸だな」と答えました。
我が家のお墓は、当時、防府にあったので、とても毎月行ける距離ではないと思いました。すると今度は「もし先に、ばあちゃんが死んだら、俺は毎日墓参りに行きたいが、どう思うか」と問いかけられ、「毎日」と聞いて、返事に困ってしまいました。
そのとき既に父は、私に内緒で近くの墓地を購入し、しかも、私名義でお墓の注文までしていました。返す言葉が見つからず、仕方なく、お墓を移動することに同意しました。
ところがいよいよ、お墓を移動するときになって、今度は「お寺を替わる」と言い出し、私と喧嘩になってしまいました。
父とは、かつて太平洋横断をして以来、ほとんど喧嘩をしたことが無かったのですが、そのときは私が怒りました。
「先祖代々、我が家のお墓を守って頂いているお寺があるのに、替わる必要はない。親父が死んでも、1時間もあれば、住職さんは防府から宇部まで来てくれる」と私が言うと、父は「これから、お前が防府に住むことは、ありえない」と答え、勝手にお寺を探し始めてしました。
 気まずいまま、年が明けた1月15日、テレビ番組で「さだまさし」さんがコンサートをしているのを、父と二人で、居間で見ていると、父が「関白宣言」を聞きながら泣いていました。
「お前を嫁にもらう前に」という歌詞で始まる有名な歌ですが、この歌を聞いて泣く人は珍しいと思います。
3番にこんな歌詞があります。
「子どもが育って、年をとったら、俺より先に死んではいけない。例えばわずか1日でもいい。俺より早く逝ってはいけない」
この部分を聞いて、父は泣いていました。
父はいつも、口癖のように母に「俺より先に死ぬな」と言っています。
母は近所の友だちと会話をしていると「私はじいちゃんを残して、先に死なれん」とよく言っています。
父は「死ぬな」、母は「死なれん」、
いい夫婦だなあと心から思います。
その1年後、父の要望を受け入れ、宇部市内のお寺に替わらせて頂きました。
父は大正6年生まれで今年92歳、母は大正14年生まれで84歳。父は75歳まで大工の棟梁だったこともあってか、とても元気で、今もバイクに乗っています。母は物忘れがひどくなり、身体の動きも鈍くなり、最近は、父が朝夕の食事の世話をするようになりました。
いつまでも、元気でいてほしいと思わせて頂いた敬老の日でした。